横浜開港資料館

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よこはま事始め・よくある質問Q&A よこはま事始め

○新しい職業・産業

●軍楽隊

明治2年(1869年)10月、薩摩藩の藩兵のうち年少者30名が横浜に派遣され、妙香寺(みょうこうじ)でイギリス陸軍の軍楽長フェントンから軍楽を習った。この薩摩藩軍楽隊が海軍軍楽隊の母体となる。

●洋楽器

明治5年(1872年)頃、ピアノ調律師クレーンが開業、カイル商会を経てドーリング商会に継承され、ピアノとオルガンの製造・修理を始めた。ここで働いていた西川虎吉(にしかわとらきち)は明治16年に独立し、日ノ出町に工場を設けてオルガン製造を始めた。これが日本人による洋楽器製造の第一号とされる。

西川オルガン
西川オルガン
『西川製造風琴雛形及定価表』 明治後期
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●潜水

増田万吉(ますだまんきち)が、弾薬倉庫船の船底修理をしたのがきっかけで潜水術を学び、明治5年(1872年)頃開業した。明治22年に内外潜水業請負会社を創立、28年には沈没船艦引上合資会社の潜水部主任となった。

●石鹸

堤磯右衛門(つつみいそえもん)が横須賀製鉄所で働いていた時、フランス人技師ボエルから製法を伝授され、明治6年(1873年)に工場を設立、7月から売り出したのが国産石鹸の最初。ブラウァーやコッキングも製造した。

堤石鹸の商標
堤石鹸の商標
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●マッチ

明治8年(1875年)正月、持丸幸助(もちまるこうすけ)がアメリカから機械を取り寄せ、平沼に工場を建てた。これは、従来日本最初とされる東京の新燧社(しんすいしゃ)よりも早い。同年ブラウァーも戸部で汽車印マッチを製造した。これと持丸の工場は同一の可能性があるが、なお断言できない。その製品の販売に従事していた菊林林蔵(きくばやしりんぞう)も、のち三吉町に製造場を設立している。

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