横浜開港資料館

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よこはま事始め・よくある質問Q&A よこはま事始め

○港と町づくり

●波止場

安政5年(1858年)、笹井万太郎(ささいまんたろう)の請負により開港前に築造された西波止場(別名イギリス波止場)が最初。元治元年には東波止場(別名フランス波止場)も完成した。その後順次拡張工事を重ね、港湾設備が整えられていく。

明治初期のイギリス波止場
明治初期のイギリス波止場
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●灯台

灯台寮(とうだいりょう)お雇い技師R.H.ブラントンの指導により、明治2年(1869年)に浮標(ふひょう)と本牧灯船(ほんもくとうせん)、その後灯竿(とうかん)の航路標識が整備された。明治7年には灯台寮構内に試験灯台が設けられ、全国各地の灯台建設の根拠地となった。

●船渠(ドック)

幕末から明治初期にかけて、いくつかの築造計画が立てられたが、いずれも実現しなかった。明治30年、H.S.パーマーの基本設計、恒川柳作(つねかわりゅうさく)の実施設計により、横浜船渠会社の手で第二号船渠が開渠(かいきょ)、二年後に第一号船渠が完成した。

●横浜実測図

外国人の手になるものとしては、1863年(文久3年)5月10日付、ブライン大尉の「横浜居留地防衛図」が最初。1865年にはクリペ、1870年にはブラントンの居留地地図が作成されている。

横浜絵図面
横浜絵図面 1865年 クリペ作成
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●近代下水道

ブラントンの「横浜の下水・道路整備計画」にもとづき、明治4年(1871年)居留地に陶管(とうかん)下水道が敷設された。14年には三田善太郎(みたぜんたろう)の設計により、関内日本人市街で石造下水道の敷設が始まり、20年には居留地下水道が煉瓦づくりに改造された。

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