横浜開港資料館

HOME > よこはま事始め・よくある質問Q&A > よこはま事始め > その他〈1〉

よこはま事始め・よくある質問Q&A よこはま事始め

○その他

●病院

1859年(安政6年)10月24日に開業したダッガンの神奈川ホスピタルが最初。公共的な総合病院としては、ジェンキンスの横浜ホスピタル(1863年4月開業)が外国側の、十全医院(じゅうぜんいいん・明治4年9月仮開業)が日本側の最初。

●歯科医

1865年(慶応元年)10月、イーストラックが上海から横浜に出張して診察にあたった。専門の歯科医が来日した最初である。イーストラックは明治15年頃、横浜に医院を設けて定住した。

●官設種痘所

明治3年末、天然痘が流行したため、神奈川県は英海軍付医師ニュートンの指導により、官設の種痘所(しゅとうじょ)を設けた。5年には種痘規則が公布され、種痘済証(しゅとうずみしょう)が発行されるようになった。

●義足

慶応3年(1867年)9月、ヘボンが俳優沢村田之助(さわむらたのすけ)の脱痕(だっそ)の治療のため、右足を切断、翌年アメリカから義足が届いた。田之助は義足を装着し、横浜の下田座(しもだざ)でお礼興行を行い、大評判になったという。

●西洋目薬

岸田吟香(きしだぎんこう)は元治元年(1864年)眼を病み、ヘボンの治療を受けたのがきっかけでその助手となった。その間にヘボンから目薬の製法を伝授され、慶応2年(1866年)、精水(せいきすい)と名付けて売り出した。

このページのトップへ戻る▲