横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第147号
2020(令和2)年2月1日発行

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展示余話
第二消防署の関東大震災
―建物被害と消火活動―

地震発生と庁舎の倒潰

前号で述べた通り、第二消防署の施設や装備は旧居留地消防隊の後身である薩摩町消防組の所有物を引き継いだもので、庁舎は煉瓦造2階建ての建物であった。地震発生時、署員たちは昼食をとっていたが、震動で建物は外壁から崩壊、署員たちは慌てて外に出て難を逃れた。また、建物に隣接する火の見櫓は震動で転倒、見張りについていた署員1人が負傷した。建物が倒潰したため、メリーウェザー号など、車庫にあった各種消火器具も瓦礫の中に埋もれてしまった。第二消防署は激震で大きな被害を受けたのである。

図2 崩壊した第二消防署
1923(大正12)年9月 増田平氏蔵
図2 崩壊した第二消防署 1923(大正12)年9月 増田平氏蔵

そうした状況に対し、第二消防署の署員たちは消防機関士の金子仁太郎を中心に応急対応にあたっていく。当時、署長の高橋春太郎消防士は帰省中だったため、次席の金子が陣頭指揮を執ることになった。直ちに金子は人員の点呼を行った後、消防署周辺で発生した火災の消火を命じた。署員たちは二手に分かれ、一つは山下町202番地アーレンス継続社の火災、もう一つは税関方面の火災にむかったが、消防自動車の使用ができなかったため、ホースのみを携帯して現場にむかった。

しかし、水道管の破裂によって消火栓は機能せず、また、道路も瓦礫で塞がれた。行動を制限された署員たちは破壊消防を試みたものの、強風に煽られた火の勢いは強く、撤退せざるを得なかった。こうした状況は水管絡車を主力とする各消防組も同様で、地震発生の段階で放水能力を奪われることになった。

メリーウェザー号の奮闘

倒潰した第二消防署に戻った署員たちは周囲の建物から生き埋めになった人びとを救助すると同時に、車庫の瓦礫を撤去してメリーウェザー号を救出した。これを中心に山下町および中華街方面から迫ってきた火災に対応していく。

メリーウェザー号は吸水管を構内の井戸に下ろし、そこから水を吸い上げて放水を開始した。放水管は3つで、一つを山下町70番の三菱商事株式会社、もう一つを同じく70番のカメロン商会、そして最後の一つを90番のシーベル・ヘグナー商会に延ばして消火活動を展開していった。それと同時に救助隊を編成して要救助者の捜索にもあたった。ここから約1時間、火災との攻防戦を繰り広げたが、次第に炎の勢いに押され、消火活動の範囲は狭められていった。

活動拠点であった第二消防署は次第に火の壁に包囲される形になった。後退した署員たちは再びメリーウェザー号の近くに集結、負傷者とともに、午後3時に横浜公園に退避することになった。だが、移動できないメリーウェザー号は構内に残され、最終的に炎に包まれていった。

図3 焼失したメリーウェザー号
岡本三朗撮影 1923(大正12)年 9 月 当館蔵
図3 焼失したメリーウェザー号 岡本三朗撮影 1923(大正12)年 9 月 当館蔵

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