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「開港のひろば」第147号
2020(令和2)年2月1日発行

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資料よもやま話
横浜貿易新報社と青年大会

『横浜貿易新報』が創刊して、2020年2月1日に130年をむかえる。同紙は、1890(明治23)年に、横浜貿易商組合の機関紙『横浜貿易新聞』として創刊した実業新聞であった。1904年には『横浜新報』と合併し、さらに『横浜貿易新報』と改題し一般紙をめざした。長く横浜、神奈川の地域紙として有力なメディアであった。

横浜貿易新報社は、1909年に三宅磐を社長にむかえ、様々な社会文化事業を行なった。文化行政の乏しかった時代にあって、社会教育をリードする役割を担っていた。そのなかで開催した、4回の青年大会について見てゆきたい。

(1)25周年記念青年大会

『横浜貿易新報』は、1915(大正4)年に25周年をむかえ、2月28日には5000号に達した。そこで5月1日から7日までを祝賀期間と定め、連日祝賀大会を開催するとともに記念号を発行した。青年大会は、「地方元気の泉源たる各地青年会代表者を一堂に会し以て其の胸襟を開き兼ねて先覚名士の教訓に浴せしめ」ることを目的に、端午の節句である5日に開催された。6日付本紙1面に「県下青年の雄 郷党を代表して金港に集り 一堂に相会して襟懐を開き 三渓の勝に悠々浩気を養ふ」という見出しを掲げ、青年大会の概要を紹介している。大会は横浜演舞館(現在、中区本牧)で行なわれ、景勝地三渓園での昼食をはさんで講演会が開催された(図1)。

図1 25周年記念大会(『横浜貿易新報』5月7日付1面)
図1 25周年記念大会(『横浜貿易新報』5月7日付1面)

本紙7日付3面県下十一郡欄に、横浜市及び各郡ごとに参加者氏名が掲載されている。前日の紙面には、200団体代表者500名が出席とあったが、名簿には在郷軍人分会(横浜市・久良岐郡・鎌倉郡・三浦郡)12団体18名、他県(静岡県磐田郡)1団体1名を含む123団体290名の名前が見られる。高座郡、都筑郡、中郡、鎌倉郡からの参加者が多かった。

青年大会に比較的多く参加していた都筑郡の青年会に、中里村小山(現在、横浜市緑区小山町)の小山青年会があった。同会からは、宮田吉五郎(会長)・小松久兵衛(副会長)・落合義治(会計)の3名が大会に参加した。同会「会誌」に、青年大会に関係する記述が見られる。同会が4月29日に横浜貿易新報社から青年大会への招待を受け、参加者を選んで大会に臨んだことや、5日の大会の概要が記載された(「小山青年会関係文書」落合康夫氏所蔵)。

大会は午前10時に君が代の奏楽で開会し、三宅社長の開会の辞、内務大臣代理関秘書官の祝辞、石原県知事の祝辞があった。協議事項では、11月の御大典(大正天皇即位礼など)に向けた記念事業に着手し完成させること、気力体力の旺盛を期し修養に努めること、風紀を正し社会の改良に努力することが決議された。正午に三渓園で昼食が出たのち、会場に引き返した。午後は会員の5分間演説に始まり、早稲田大学教授田中穂積、内務省衛生局長中川望、尾崎法相代理秘書官諸氏の演説があり、陸軍少将田中義一寄贈の『社会的国民教育』が配られ、午後五時半に三宅社長の閉会の辞で終了した。

小山青年会の3人が中山駅に着いたのは、9時であったと書かれている。一日がかりの企画であった。「会誌」に記録した宮田は、「此青年大会たるや地方青年会発展の一大動機となるべく感ぜられたり」と感想を記している。

青年大会の祝辞や講演会については、いずれも第一次大戦の影響を受け、青年たちを鼓舞する内容であり、国家や県が青年会に期待する役割がうかがえる。

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