横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第147号
2020(令和2)年2月1日発行

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展示余話
第二消防署の関東大震災
―建物被害と消火活動―

1919(大正8)年9月1日、特設消防署規程に基づき、神奈川県の第一消防署(現・横浜市西消防署)と、第二消防署(現・横浜市中消防署)が誕生する。これによって横浜市の防火体制は大幅に強化され、専任の消防職員が24時間体制で警戒にあたることになった。また、ガソリンポンプを搭載した消防自動車も増強されたほか、消火活動の拠点となる分署や出張所も順次整備されていく。一方、これまで消火活動を担ってきた非常備の消防組は縮小され、消防署を補助する組織へと改編されていった。

図1 第二消防署の庁舎 大正期 当館蔵
図1 第二消防署の庁舎 大正期 当館蔵

こうした変革からちょうど4年が経過した1923年9月1日、神奈川県を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生、干拓地の上に形成された市街地は激しい揺れに見舞われた。さらに市内289箇所から出火、強風に煽られ急速に燃え広がっていった。これに対して横浜の消防組織はどのように対応したのか、今回は横浜市中消防署の起源である第二消防署(中区山下町238番地所在)を中心に、震災時の横浜消防の活動を追いかけてみたい。

関東大震災前の防火体制

関東大震災時の第二消防署の活動は、市史稿写本の『横浜第二消防署消防史料』(当館蔵)や栗原梅葉「震災前の特設消防と復興状況」(『消防』第1巻第1号、1928年12月)、西坂勝人『神奈川県下の大震火災と警察』(警友社、1926年)、神奈川県警察部編『大正大震火災誌』(神奈川県警察部、1926年)等に詳しい。これらを紐解きながら、第二消防署の活動を再現してみよう。

地震発生時、市内には2つの消防署と3つの分署、7つの出張所があり、第二消防署管下には、本署直轄の地蔵坂、谷戸坂、見晴の3出張所、中村町分署と蒔田町出張所、北方分署などがあった。その装備は本署に大型のガソリンポンプ自動車「メリーウェザー号」があったほか、中村町分署と北方分署、そして蒔田町出張所にそれぞれ1台の消防自動車が配備されていた。また、本署と中村町には水管自動車各1台、地蔵坂、谷戸坂、見晴の3出張所には水管絡車各1台が配備されていた。

一方、第二消防署管下の山手、山手本町、加賀町の各消防組は水管絡車を主要装備とし、火災が発生した場合は、消火栓にホースを繋いで消火活動を展開していた。震災当時、第二消防署管内の水管絡車の数は出張所を含めて33台であった。ここから日常的な防火体制が水道に頼っていたことがわかる。この状況が地震発生直後の消火活動にも影響を及ぼすことになった。

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