横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第147号
2020(令和2)年2月1日発行

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企画展
横浜市新市庁舎完成記念
町会所から市役所へ
古地図と古写真に見る横浜の歩み

現在、横浜市開港記念会館が建っている場所の大正初年の光景 この場所に建っていた町会所であった建物は1906(明治39)年に火災で焼失した。中央奥の(5)と記された建物は1911(明治44)年に竣工した横浜市役所。当館蔵
現在、横浜市開港記念会館が建っている場所の大正初年の光景 この場所に建っていた町会所であった建物は1906(明治39)年に火災で焼失した。中央奥の(5)と記された建物は1911(明治44)年に竣工した横浜市役所。当館蔵

2020(令和2)年3月、中区本町6丁目に横浜市の新しい庁舎が完成します。これを記念して、(公財)横浜市ふるさと歴史財団では、財団が運営する横浜市歴史博物館・横浜開港資料館・横浜都市発展記念館の三つの施設を会場にして、横浜市の歩みや新庁舎の建設現場から発掘された埋蔵文化財を紹介する企画展示を開催していきます。この内、当館で開催する「町会所から市役所へ」は、1859(安政6)年の横浜開港以来の行政組織のあり方や市街地の様子を紹介するものです。

横浜が国際都市として歩み始めた開港直後の時期に、現在の中区本町1丁目付近(現在、神奈川県庁や横浜法務合同庁舎が建っている地域)には、関税徴収や外交を取り扱う運上所(うんじょうしょ)や町役人が常駐する町会所(まちかいしょ)などの建物が置かれました。これらの役所は、この地域の中を転々と移動しましたが、町会所は、1874(明治7)年に、現在、横浜市開港記念会館が建っている場所に新築・移転し、これが町政事務を取り扱う役所になりました。

「市制・町村制」の公布にもとづき横浜市が発足したのは1889(明治22)年で、出来上がったばかりの市役所は横浜区役所と呼ばれる役所の事務を引き継ぎました。発足当時の横浜市の範囲は関内地域を中心とする約5、4平方キロメートルの地域で、約12万人の人びとが居住していました。その後、市役所は1911(明治44)年に、本町1丁目地域からJR関内駅付近の場所に移転し、この場所は関東大震災の復興期や第2次世界大戦の前後の時期を除く長期間にわたって市役所の所在地になりました。

横浜が開港して160年間の歳月が経過し、この間、横浜は幕末から明治時代にかけて国内有数の貿易都市として発展を続け、生糸・茶などの輸出港として、綿織物・毛織物・武器などの輸入港として日本経済を支えてきました。また、明治時代末年からは横浜市が中心となって工業化を推し進め、横浜市は京浜工業地帯の中核都市として大きな役割を果たしてきました。そして現在の横浜は18区の行政区を持つ国内最大の市に成長し、人口は375万人に達しようとしています。関東大震災と横浜大空襲、そして長期にわたる接収は横浜の発展に大きな影響を与えましたが、その都度、横浜は不死鳥のようによみがえりました。展示では開港以来、戦後の復興にいたる横浜の歩みを紹介し、あわせて新市庁舎建設現場の開港当初の姿を浮世絵・古写真で紹介します。展示を通じて横浜市の歴史や新市庁舎建設現場のかつての姿を知っていただければ幸いです。

(西川武臣)

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