横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第140号
2018(平成30)年4月27日発行

表紙画像

展示余話
綱島温泉の痕跡
−ラヂウム霊泉湧出記念碑−

温泉旅館の登場

石碑の裏面には、加藤順三や飯田助大夫の他に「温泉旅館元祖」として小島孝次郎、「汲湯温泉開拓者」として福澤徳太郎と、田中友太郎の名前が確認できる。田中の詳細は不明だが、小島は最初の温泉旅館とされる「永命館」の主人であった。

前述の「綱島温泉を訪ふ記」で飯田助夫は、「小島孝次郎氏が奉仕的に温浴室を建てた所、効能があるといふので、近来東京方面より湯治客が押しかけ、最初入船と永命館と二軒だったが、今日四五十軒に増す発展となった」と語っており、初期の温泉旅館が「永命館」と「入船亭」の二軒だったことがわかる。1986(昭和61)年刊行の『港北区史』も小島の活動を記した上で、「ラジュウム鉱泉が次第に知れわたった大正六年(一九一七)、樽に初めて永命館が開業した」としている。

ただし、日記を確認すると、温泉旅館の開業はもう少し早かったようである。「入船亭」については、ラジウム鉱泉発見の前年、1913年8月23日に開業しているほか、1915年11月3日には、飯田が「入船亭」のラジウム温泉に浸かる記述もある。一方、「永命館」については、翌16年6月1日に「午後一時より樽ラジュム温泉永命館に於て大綱村農会役員会開催」とあり、この時、すでに「永命館」も営業していたことが確認できる。

図2 綱島温泉の案内図
1935(昭和10)年頃 横浜開港資料館所蔵
図2 綱島温泉の案内図 1935(昭和10)年頃 横浜開港資料館所蔵

碑文や飯田の説明のように、「永命館」を最初の温泉旅館と考えると、それ以前にできていた「入船亭」は割烹旅館もしくは料亭として開業した後、ラジウム鉱泉を掘って温泉旅館になったと推察できる。しかし、現在のところ、この点について史料的な確証は得られていない。今後も継続的な調査を進めていきたい。

(吉田律人)

本稿の作成にあたっては飯田助知氏にお世話になりました。ここに記して謝意を表します。

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