横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第138号
2017(平成29)年10月25日発行

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資料よもやま話
新聞の出入港船リストから分かること
〜ウィリアム・ギャンブルの場合〜

そしてギャンブルは、同年アメリカに帰国した。新聞で帰国の記事を探してみると、NCHの1870年8月4日号の乗船名簿(Passengers)には、出港した人(Departed)として、「Par "Oregonian" For San Francisco -Messes. Gamble」とある。ギャンブルがオレゴニア号でサン・フランシスコへ向けて上海を出港したことが分かる。この記事は、1870年8月4日号であるが、前号は同年7月28日に刊行されているので、28日から4日までの間に、オレゴニア号は出港したと思われる。同年8月6日号の「長崎エクスプレス紙」(前掲書所収)の入港船名簿(Arrivals)には、「Aug. 1st, Oregonian, Dearborn, P. M. St., 1,940, from Shanghai, July 30th, General, to Geo. B. Gibbons.」とあり、出港船名簿(Departures)には、「Aug. 2nd. Oregonian, Dearborn, P. M. Str., 1.940, for Hiogo and Yokohama, General, by Geo. B. Gibbons.」とある。オレゴニア号は、7月30日に上海を出港し、8月1日に長崎に到着、翌日の8月2日には神戸に向けて出港したことがわかる。

「兵庫ニューズ紙」(「The Hiogo News」、当館閲覧室で複製での閲覧可)の 1870年8月6日号の出入港船リスト(Shipping Intelligence)によると、オレゴニア号は8月3日に神戸に着き、同5日に横浜に向けて出港している。また入港者名簿(Arrived)には「Per str. Oregonian from Shanghai and Nagasaki- (中略)For San Francisco: Messrs. W. Gamble」とあり、神戸へ着いた乗船名簿にギャンブルの名が記されている。

横浜で刊行された週刊の新聞「ジャパン・ウィークリー・メイル紙」(The Japan Weekly Mail 以下JWM)の1870年8月13日号の出入港船リスト(Shipping Intelligence)を見てみると、入港船(Arrivals)に「Aug. 7, Oregonian Am Str., Dearborn, 2,500, from Shanghai &c., General, to P. M. S. S. Company.」とあり、8月7日にオレゴニア号が横浜に着いたことが分かる。オレゴニア号は、横浜と上海を結ぶPacific Mail Steamship Company(以下PMSS社)の船であり、JWMの同年8月20日号の出港船名簿(Departures)には「Aug.16, Oregonian, Am. Str., Dearborn, 2.500, for Shanghai via Southern Ports, General, despatched by P.M.S.S. Company.」とあり、上海へ向けて出港している。

ギャンブルが、PMSS社の船でサン・フランシスコへ向けて出港すると考えると、横浜からサン・フランシスコへ出航するPMSS社の船は、8月22日のアメリカ号(America)か、9月23日のグレート・リパブリック号(Great Republic)に乗船することになる。残念ながら、8月22日のアメリカ号については、JWMに出入港船リストの記載が無く、9月23日の記事には、横浜から乗船したと思われる人のみの名前が記されており、ギャンブルの名はない。

以上のことから、横浜から出港した日時は不明ではあるが、ギャンブルは、1870年7月30日に上海を離れ、長崎・神戸を経由し、横浜から帰米したことが確かめられた。

もしアメリカ号に乗船したとすると、8月7日に横浜に着いて、同22日に出港する間、彼は15日間横浜周辺に滞在していたことになる。何をしていたのだろうか。ヘボンに会っただろうか。新たな資料を探して、ギャンブルの軌跡を明らかにしたい。

以上ここでは、新聞の出入港船リストを用いて、ギャンブルの中国への渡航と、上海から米国への帰国の旅を追ってみた。出入港船リストは小さな記事ではあるが、そこから発見される新事実もあり、貴重な情報であることが分かる。

(石崎康子)

註(1)
ギャンブルに関する記述は、『日本語活字ものがたり』(小宮山博史著 誠文堂新光社 2009年)を参照にした。

註(2)
PMSS社の上海‐日本‐米国間の客船については、松浦章「上海からアメリカへ-Pacific Mail SteamShip会社の上海定期航路の開設」(『東アジア文化研究科紀要』創刊号 2012年 関西大学アジア文化研究センター)による。

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