横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第138号
2017(平成29)年10月25日発行

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資料よもやま話
新聞の出入港船リストから分かること
〜ウィリアム・ギャンブルの場合〜

ウィリアム・ギャンブル(William Gamble 1830〜1886年)は、印刷技師で、所長を務めた上海の美華書館を中国一の印刷所に発展させ、また日本に活字の鋳造技術と西洋式活版印刷術を伝えた人物である(註(1))。

北米長老教会(ほくべいちょうりょうきょうかい American Presbyterian Mission)が、宣教のため中国に進出したのは、1844年であった。プロテスタントの布教にとって聖書は欠かせない。北米長老教会は、現地で聖書の印刷を行なうため印刷所を設置した。ギャンブルは、北米長老会が寧波(ニンポー)に設置し、華花聖経書房(かかせいけいしょぼう)と名付けた印刷所に、印刷技師として1858年10月、米国から赴任した。印刷所は、1860年に上海へ移転、美華書館(みかしょかん)と名称を変えるが、ギャンブルも上海へ移り、1869年に辞任するまで、美華書館の第6代目所長として印刷技術の発展に貢献した(図1)。1867(慶応3)年、ヘボンが和英・英和辞書の印刷を行なうため、横浜から上海へ渡り、英語と日本語の文章を、金属活字を用いて印刷し、あとは製本するばかりの『和英語林集成』に仕上げたのは、ギャンブルが所長を務める美華書館であった(図2)。

図1 『天路指南』 1861年 上海 美華書館刊行 小宮山博史氏所蔵
本書は、ギャンブルが所長を務めた上海の美華書館が刊行した教書の一つ。写真は中表紙。
図1 『天路指南』 1861年 上海 美華書館刊行 小宮山博史氏所蔵 本書は、ギャンブルが所長を務めた上海の美華書館が刊行した教書の一つ。写真は中表紙。
図2 『和英語林集成』の中表紙 1867年 当館所蔵
ヘボンが岸田吟香とともに上海へ行き印刷した和英・英和辞書の初版。右の英文書名頁の下部に、「SHANGHAI AMERICAN PRESBYTERIAN MISSION PRESS」(美華書館)の名がみえる。
図2 『和英語林集成』の中表紙 1867年 当館所蔵 ヘボンが岸田吟香とともに上海へ行き印刷した和英・英和辞書の初版。右の英文書名頁の下部に、「SHANGHAI AMERICAN PRESBYTERIAN MISSION PRESS」(美華書館)の名がみえる。

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