横浜開港資料館

HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第138号 展示余話  ヘボン書簡に見る横浜の西洋人社会〈1〉

館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第138号
2017(平成29)年10月25日発行

表紙画像

展示余話
ヘボン書簡に見る横浜の西洋人社会

企画展「横浜の西洋人社会と日本人」では、故高谷道男氏寄贈・当館蔵「ヘボン書簡」(84通)の中から9通を展示し、日本初の本格的な和英辞典『和英語林集成』の編纂やヘボン式ローマ字の考案者として知られるアメリカ人宣教医、ヘボンJ. C. Hepburnと妻クララの横浜での生活と、生活を通してかれらが抱いた日本人像を紹介した。

ヘボンは、1815年にアメリカ、ペンシルベニア州に生まれ、プリンストン大学を卒業後、ペンシルベニア大学で医学を学び、医学博士号を取得した。アジアでの伝道を志し、41年から45年まで妻クララとともに中国で宣教医として活動し、帰国後はニューヨークで開業医となった。58年に日米修好通商条約が締結されると、翌59年、アメリカ長老派教会の外国伝道協会本部はヘボンの日本派遣を決定し、ヘボンはクララとともに同年10月に来日して神奈川の成仏寺で新たな生活を始めた。62年末には横浜居留地39番地に移り、1892年に帰国するまで神奈川時代も含めて33年間、横浜に暮らし、医療や辞典編纂、聖書翻訳、教育活動などを通して日本の近代化に貢献した。

現在、日本時代にヘボンが書いた書簡として約300通の存在が確認されている。まず前述した当館蔵「ヘボン書簡」がある。ほとんどがニューヨークで牧師をしていたヘボンの弟スレーター宛て私信であり、クララからの書簡も少し含まれる。これらの書簡の大部分を収録翻訳したものに高谷道男編訳『ヘボンの手紙(増補版)』(有隣新書、1978年)がある。またヘボンが本国の外国伝道協会本部に宛てた報告書が多数あり、主にこれらを収録翻訳したものに、岡部一興編、高谷道男・有地美子訳『ヘボン在日書簡全集』(教文館、2009年)がある。

図1 ヘボン(右)と弟スレーター 高谷道男氏寄贈・当館蔵
図1 ヘボン(右)と弟スレーター 高谷道男氏寄贈・当館蔵

これまでヘボンの書簡は、辞典編纂や聖書翻訳などヘボンの歴史的業績に関わるものを取り上げることが多かったが、開港初期からの横浜の西洋人社会の諸相を伝える情報も豊富だ。このような視点から選んだ書簡を数通、紹介したい。なお引用訳文は前掲高谷編訳『ヘボンの手紙(増補版)』(以下、『高谷』と略記)と、岡部編『ヘボン在日書簡全集』(同、『岡部』書簡番号)に拠った。

続きを読む ≫

このページのトップへ戻る▲