HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第133号 企画展 「横浜漆器」と内国勧業博覧会〈3〉
「開港のひろば」第133号
|
企画展
「横浜漆器」と内国勧業博覧会
その後の博覧会で
「横浜漆器」はその後もさまざまな博覧会に出品されたが、大正2(1913)年に横浜市で開催された勧業共進会にもいくつかの「横浜漆器」が出品された。この博覧会は神奈川県と横浜市が共同して県下の産業および貿易を奨励することを目的に、同年10月1日から11月19日までの50日間、現在の南区共進町で開催された。共進会への漆器の出品点数は2300点を超え、53点に褒賞が授与された。漆器の審査については「勧業共進会審査報告」に記述があり、神奈川県の工業試験所技師の三山喜三郎が審査にあたったとある。
共進会への漆器の出品は2府11県からおこなわれたが、なかでも出品数が多いのは横浜市と静岡県で製造された漆器であった。しかし、「横浜漆器」の評価は低く、わずかに横浜芝山漆器だけが伝統的な技法を守り、横浜を代表する名産品であり続けていると記している。その他の「横浜漆器」については「輸出漆器は廉価品に華麗なる蒔絵、その他の装飾を施し、一見驚嘆に値すべきも、内質の構造粗悪を極め、ほとんどまったく実用に適せざる」と述べ、見た目だけを良くしているが実用にはまったく適さないと酷評している。大正期を迎え、横浜開港から100年以上が経過し、江戸時代以来の匠の技も曲がり角を迎えていたようである。
(西川武臣)