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「開港のひろば」第124号
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資料よもやま話
平山煙火製造所と小野家資料
販売代理店
平山煙火製造所は一時期東京に支店を設け、国内での販売を強化しようとしたようであるが、結局輸出向けを中心に花火を販売した。
明治18(1885)年、平山甚太は横浜の米国貿易商会と欧米に花火を販売する代理店契約(図2)を結んでいる。
「沿革及履歴」に、明治21年10月には、ドイツのハンブルクにあったラインハルト商会にもヨーロッパ全土(イギリスを除く)の総代理権を許したとある。
上海でのアメリカ独立記念祭
平山煙火と言えばアメリカ独立記念日に、横浜のグランドホテル前の海岸で打ち上げられる花火が有名だった。明治39(1906)年7月4日の独立記念日には、上海の競馬場でも平山花火が打ち上げられた。図3は、平山煙火製造所支配人近藤光次郎が上海で作成した広告である。日本語、中国語、英語で記されている。
近藤は6月に上海に渡り、準備をした。プログラムの草稿、広告案などと共に、横浜から上海に春日丸で送られた貨物に関する日本郵船や東京海上火災の輸送及び保険関係書類、上海滞在中の宿泊等の領収証が残されている。
この時の花火は成功したようで、アメリカ領事館から近藤へ感謝の書簡が贈られた。