横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第124号
2014(平成26)年4月19日発行

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資料よもやま話2
関靖(せき やすし)旧蔵、関家(せきけ)資料公開へ

関家資料は、神奈川県立金沢文庫(以下金沢文庫)の初代文庫長を務めた関靖氏が保管・整理された関家関係および靖氏関係資料である。この度、ご令孫の関東雄(はるお)氏よりご寄託いただくこととなり、公開の運びとなったので、同家資料を紹介したい。

関靖の経歴

関靖(写真1)は、明治10(1877)年3月、関直(なおし)の長男として東京に生まれた。明治32(1899)年に東京府師範学校(現東京学芸大学)を卒業し、東京市根岸尋常高等小学校(現東京都台東区立根岸小学校)などで訓導を務めている。明治39(1906)年3月には東京高等師範学校(現筑波大学)を卒業し、同年4月より山口県視学を皮切りに、新潟県新潟師範学校(現新潟大学教育学部)教諭、石川県視学、神奈川県視学、神奈川県立平塚高等女学校(現神奈川県立平塚江南高等学校)教諭などを歴任した。昭和3(1928)年には神奈川県社会教育主事に転じ、昭和5(1930)年、金沢文庫の初代文庫長に53歳で就任する。同21(1946)年3月に文庫長を辞すが、その後も嘱託として生涯金沢文庫に籍をおいた。

写真1 関靖肖像写真(関家資料 その他1‐4)
関東雄氏所蔵 横浜開港資料館保管
写真1 関靖肖像写真(関家資料 その他1‐4)関東雄氏所蔵 横浜開港資料館保管

金沢文庫は、金沢北条氏が創設し、鎌倉幕府滅亡後称名寺が保管してきた「金沢文庫」資料の保存・展示を行う博物館機能と、郷土資料の収集と調査を中核とした図書館機能をもつ施設として、昭和5年8月に開館した。靖は、開館間もなく称名寺から寄託された長持5棹の調査と、かつて「金沢文庫」に収蔵され、その後散逸した資料の調査、郷土資料の調査・収集に力を注いだ。昭和10(1935)年と翌年には、「金沢文庫」の漢籍、和書仏典等を収録した『金沢文庫本図録』(上・下巻)を刊行し、引き続き『金沢文庫古文書』(第1・2輯、1937・1943年)、『金沢文庫古書目録』(1939年)を刊行した。

昭和13(1938)年には、金沢文庫の機関誌として「中世文化と本県郷土の研究に資すため」『金沢文庫と郷土』を刊行し、関は第1号から第9号まで、金沢文庫所蔵の郷土資料の目録と、主要な資料の解説を掲載した。昭和15(1940)年に神奈川県文化研究会が誕生し、機関誌『神奈川文化』が刊行されると、関は引き続き同誌で郷土資料の紹介を行い、郷土史研究に大きな足跡を残した。

また関は、細川護立を会長とし、結城豊太郎・五島慶太・辻善之助らをメンバーとする金沢文庫古典保存会を設立し、金沢文庫資料の保存修復と、コロタイプ印刷での影印刊行を行なった。資料の修復を進め、資料の保存と公開への意識を高めた点で、関の業績は高く評価されている。

金沢文庫長の職を離れた後は、昭和28(1953)年に刊行される『横浜歴史年表』の編纂委員などを歴任するほか、横浜の趣味人の集まりである尚趣会の会員となった。同28年には、『金沢文庫の研究』で日本学士院賞を受賞している。同33(1958)年81歳で死去、号を晩翠と称した。

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