横浜開港資料館

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「開港のひろば」第124号
2014(平成26)年4月19日発行

表紙画像

資料よもやま話2
関靖(せき やすし)旧蔵、関家(せきけ)資料公開へ

資料の概要

公開にあたり、関家資料を以下の八つに分類した。(1)状(208点)、(2)冊(40点)、(3)神奈川県・横浜市関係資料(110点)、(4)書籍(30点)、(5)地図(14点)、(6)巻子・掛軸(13点)、(7)短冊(100点)、(8)その他(扁額・アルバム等 9点)。総数524点である。

靖の母方の祖父が、藤田東湖と親交のあった水戸の志士桜任蔵(本名は小松崎、1812〜1859年)であったことから、関家資料には、桜田門外の変について記された「桜田事変留書」(冊1‐21)や、水戸老君(徳川斉昭)が海防参与として嘉永6(1853)年に提出した海防に関する建議書の写である「水府老君上書」(冊1‐24)など、幕末の水戸藩関係資料、尊皇攘夷派関係資料が収蔵されている。また頼山陽の三男で橋本左内らと共に斬首された頼三樹八郎(らい みきはちろう 三樹三郎 みきさぶろう)の遺骨について記した「頼三樹八郎分骨一件」(冊1‐4)なども含まれている。

なお関家資料のうち水戸藩関係資料の一部は、『黒船・開国・社会騒乱‐日記にみる150年前の横浜‐』(横浜市歴史博物館編 2009年)に紹介されているので、ご覧いただきたい。

関直関係資料

関靖の父直(1938〜1894年)は、水戸藩士であったが、明治維新後、兵部省・陸軍省に所属した後、明治7(1874)年正院記録課に任用された。明治18(1885)年太政官制が内閣制に改編され、内閣記録局が設けられると、同局々員となった。明治25(1892)年、現在の日本図書館協会の前身にあたる日本文庫協会が設置され、直は初代幹事の一人となった。写真2は、直が残した明治25年の日記(「明治廿五年日記 乾 一月ヨリ九月迄」・「明治廿五年日記 坤 十月ヨリ 明治廿六年」(冊1‐9(1)、1‐9(2))であるが、そこには日本文庫協会設立の経緯が記されている(熊原政男「関直と靖の業績」『図書館雑誌』52巻11号 1958年)。

写真2 関直の日記(関家資料冊1‐9‐(1)、1‐9‐(2))
関東雄氏所蔵 横浜開港資料館保管
写真2 関直の日記(関家資料冊1‐9‐(1)、1‐9‐(2))関東雄氏所蔵 横浜開港資料館保管

また『大日本史』は、水戸の徳川光圀が明暦3(1657)年に史局を設けて以来、約250年を費やし明治39(1906)年に完成した漢文の歴史書であるが、明治以降水戸徳川家が引き継ぎ進めた編纂事業の中心となった栗田寛(1835〜1899年)と、関直との交流を知ることのできる葉書も残されている(状1‐11‐1、1‐11‐2)。

明治26(1893)年11月に辞職し、翌年1月56歳で死去した。時に靖は16歳であった。

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