横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第117号
2012(平成24)年7月19日発行

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企画展
「生麦事件 激震、幕末日本」
−本邦初公開のリチャードソン書簡から−

日本貿易に寄せる期待

「日本」という文字の初出は、1854年12月4日付父親宛て書簡である。上海到着から約2年近く経った頃のものである。

イギリスは日本との間に条約を締結しました[同年10月14日に調印した日英和親条約]。これはアメリカが結んだ条約よりも有利な内容です。日本は、それ程の年数を経ない内に、多くのすばらしい物を産出する国になるだろうとの報告がなされました。誰に聞いても、日本は、黄金から樟脳に至るまで、東洋に関わりのあるあらゆる物が豊富だと言われています。日本が大きな貿易国となるだろうことを、私は信じて疑いません。

日本貿易への関心と期待の高さを記している。このような認識は一人リチャードソンだけでなく、上海に住む外国商人たちに共通のものであっただろう。日本と欧米各国との間に通商条約が締結されて貿易が開始するのは、まだ先のことであった。

ついに1858年8月26日、イギリス代表のエルギン卿が来日し、米・蘭・露につづいて修好通商条約を調印した。59年1月17日、上海でエルギン卿一行を招いて条約締結祝賀会が開かれ、在上海イギリス人商業会議所会頭が祝辞を述べた。

この会に列席してエルギン卿の演説を聴いたリチャードソンは「エルギン卿はすばらしい外交官だ」と賞賛し、その時の興奮を59年1月20日付父親宛て書簡につづっている。

日本の工芸品を収集

まだ日本との貿易が実現しない内から、リチャードソンは日本の品々への関心を高め、上海で収集を始めていた。例えば1859年4月16日付父親宛て書簡には、つぎのような記述が見える。

日本からの品をさらにいくつか入手したところです。もう荷造りを終えていて、もし忘れなければ、直ぐにでも発送します。その中に大金を支払った4本の日本刀が入っています。できれば、よくない方の2本を売ってださい。でも日本刀の入手はとても困難で、日本では刀を売ったことがわかると即刻、打ち首になるのです。日本刀がどれ程高価なものか、お分かりいただけるでしょう。実際、1本の日本刀は日本人一人の命の値段に匹敵して当然なのです。

日本刀を送りつつ、武士にとって刀の持つ意味を父親に説明している。リチャードソンは刀の他にお盆や磁器、漆製品、翡翠、写真など日本の品々を盛んに収集しては、一部をイギリスの家族に送ろうとしたが、なかなか多忙のようで、しばしば約束を守れないことを詫びている。

今日、ウェイス氏の手元にはこれらの品々は遺っていない。

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