横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第117号
2012(平成24)年7月19日発行

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特別資料コーナー
100年前の夏休み−大正時代の子供たち

輸出絹物売込商の浪江清三郎は、明治44(1911)年に真砂町で浪清商店を開いた。商売のかたわら、写真撮影を趣味にしていたらしい。このほど、清三郎が撮影した写真アルバムを、浪江家よりお借りした。アルバムは大正10(1921)年3月から大正12年7月までに撮影されたもので、上野で開かれた平和紀念東京博覧会の会場や来浜したエドワード英国皇太子歓迎の模様をはじめ、商店従業員のテニス大会、自宅や旅行先での清三郎の家族など、様々な行事や風景、人々が写っている。このなかから、夏の子供たちの姿を紹介したい。

水着姿の子供たち(浪江康夫氏所蔵)
水着姿の子供たち(浪江康夫氏所蔵)

横浜で夏の楽しみと言えば、明治時代から、海水浴と7月4日の米国独立記念日に打ち上げられる花火で、今からおよそ100年前の子供たちにとっても同様であった。大正9年からは、これに横浜公園で開催される開港記念バザーも加わった。

自宅が本牧町にあった浪清商店の子供たちは、家から水着を着て近くの本牧八王子海岸まで泳ぎに行った。並んで写った写真を見ると、年長の女子だけでなく男子2人も西洋風の水着を着ている。腰に巻いた布は、おぼれた時に引き上げてもらうためのものだ。海水浴にも家族で出かけたようで、本牧花屋敷海水浴場の写真も貼られている。大正元年に開園した本牧花屋敷は、大正3年に海水浴場を併設した。写真では、海面に桟橋や櫓が設置され、多くの人々で賑わっている。

ところで、浪清商店の子供たちが通っていた横浜小学校の夏休みは、8月の1ヶ月間であった。同校児童保護者会が発行した雑誌『学之友』第24号(明治44年8月)には、夏休みにむけた「暑中の児童心得」が掲載されている。12項目の内容は、体と衣服を清潔にする、食物や水に気をつける、炎天下では帽子や日傘を用いる、寝るときは腹巻をつける、道路で遊ばない、早寝早起きをする、付き添い無しでは水泳をしない、外出時には足袋をはく、家の手伝いをする、などである。最初に、「毎日およそ一時間課業の復習をなすこと」とあり、現在と同様に宿題が出ていた。

明治時代の終わり頃から、自習用の補助教材が発行され、小学校で使われるようになったが、横浜小学校でも「夏季休業復習帳」が配られていた。大正時代になると「自由研究」が行なわれるようになった。大正7年からは、高学年の生徒の採集標本や創作品を集めた展覧会が毎年開かれていた。

大正時代の子供たちは、海水浴で体を鍛え、復習帳で学習し、自由研究にも取り組むという、健康的な夏休みを過ごしていたようである。

(上田由美)

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