横浜開港資料館

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「開港のひろば」第117号
2012(平成24)年7月19日発行

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企画展
生麦事件 激震、幕末日本
−イギリスに遺された資料から

ベアト撮影 生麦事件現場 幕末 横浜開港資料館蔵
ベアト撮影 生麦事件現場 幕末 横浜開港資料館蔵

ちょうど150年前の1862年9月14日(文久2年8月21日)、貿易都市としての歩みを始めたばかりの横浜の近郊、生麦村(現横浜市鶴見区)で、東海道を馬で散策中の4人のイギリス人が薩摩藩一行に殺傷される事件がおきました。横浜に住む2人の商人が重傷を負い、上海の商人、チャールズ・L・リチャードソンが殺害されました。横浜の親族の元を訪れていた香港在住の婦人だけが辛うじて無傷で外国人居留地に逃げ帰りました。生麦事件です。

事件は大きな外交問題となり、ついに翌1863年8月、イギリスと薩摩藩の間で戦端が開かれました(薩英戦争)。イギリスとフランスはまた、居留外国人を守るために横浜への軍隊派遣を幕府に認めさせ、明治時代まで駐屯させました。事件をきっかけに、幕末日本の外交は大きく動いていったのです。

本展示では、生麦事件の経緯とその影響をたどるとともに、今回が本邦初公開となる犠牲者のリチャードソン家に伝わる遺品資料から約30点を展示します。リチャードソンの長姉アグネスの曾孫にあたるマイケル・ウェイス氏が受け継いだものです。ウェイス氏はロンドン在住で、元編集者という経歴の持ち主です。一昨年、東京にあるブリティッシュ・カウンシルを介してウェイス氏から連絡があり、やり取りが始まりました。

リチャードソンが上海や横浜からイギリスの両親や姉たちに書き送った書簡約80通の中から日本に言及した書簡を18通、生麦事件発生2カ月後イギリス外務次官が父親に宛てた弔文、生麦事件を最初に報道した横浜の英字新聞『ジャパン・ヘラルド』号外(1862年9月16日付)、撮影年代の異なる横浜外国人墓地のリチャードソンの墓石写真や明治16年に生麦村に建てられた事件顕彰碑の写真数枚、リチャードソンの家族の肖像写真、さらにはこれらの書簡や写真類が長い間、保管されていたブリキの書類箱も展示します。

7月28日から、横浜市歴史博物館(都筑区)でも企画展示「生麦事件と横浜の村々」展を開催します。事件が幕府の治安対策や、地元や周辺地域に与えた影響をおもに日本側の記録を元に紹介します。当館の展示とあわせてご覧いただければ、事件が幕末日本、横浜にとってまさに「激震」であったことがおわかりいただけるでしょう。

(中武香奈美)

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