横浜開港資料館

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「開港のひろば」第115号
2012(平成24)年2月1日発行

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資料よもやま話
元イギリス駐屯軍兵士、ヴィンセント家の墓

追悼記事−葬儀と遺族、友人

死亡の翌10月31日、外国人墓地近くのクライスト・チャーチ(現横浜山手聖公会)で葬儀が営まれた。秋晴れの穏やかな日であった。山手31番地の自宅から棺が教会へ運ばれた。遺族は妻エリザと子どもたち、孫たちであった。
喪主は長男(H・A・ヴィンセント)と次男(W・カール・E・ヴィンセントW. Karl E. Vincent)の二人がつとめた。娘(おそらく次女)とその夫のジョン・W・ケインJohn W. Cain夫妻、未婚のヴィンセント嬢(3女か)と、長男と次男の妻、孫たちが参列した。
葬儀には長年その監獄の看守をつとめたイギリス総領事、古参の横浜の住人のイギリス人ジョージ・ホッジスGeorge Hodgesやウィーラー医師Dr. Wheelerといった古くからの友人たち、故人が1870年に会員となったフリーメーソンの会員らが参列した。

ホッジスは駐屯軍兵士ではなく、元ロンドン警視庁の巡査で、志願して駐日イギリス公使パークスの騎馬護衛兵となり1867年に来日し、翌68年3月23日には、京都で天皇謁見に向かうパークスを護衛中に暴漢の襲撃を受けた(図3)(当館編『図説横浜外国人居留地』1998年)。外国人襲撃を体験した元軍人であり、イギリス総領事館でのヘンリーのかつての同僚でもあった。地元の名士、ウィーラー医師も1870年の来日時はイギリス海軍医であった。

図3 襲撃されたパークス一行。フランス軍事顧問団のブリュネ画 『ル・モンド・イリュストレ』 1868年6月13日号
図3 襲撃されたパークス一行。フランス軍事顧問団のブリュネ画 『ル・モンド・イリュストレ』 1868年6月13日号

ホッジスは1916年に72歳で、ウィーラーは1923年9月1日の関東大震災で圧死した。83歳であった。ともに今は山手に眠る。

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