横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第115号
2012(平成24)年2月1日発行

表紙画像

企画展
横浜の写真館の歩み
−1860’s〜1960’s−

横浜の写真館は、日本写真界の黎明期を支えた後も、時代に呼応して様々な市場を開拓し、発展を遂げてきた。ここでは、展示資料の一部を紹介しながら、幕末から戦後に至るまでの歩みを概観してみたい。

下岡蓮杖と湿板写真の時代

横浜外国人居留地でアメリカ人写真家ジョン・ウィルソンから写真機材を譲り受けた下岡蓮杖(しもおかれんじょう)は、1862(文久2)年、野毛に写真館を開業した。前年に両国薬研堀(やげんぼり)で鵜飼玉川(うがいぎょくせん)が写真館を開業しているため、邦人初とは言えないが、その後の日本の写真界に及ぼした影響からしても、下岡蓮杖の存在は異彩を放つ。

その蓮杖が撮影した湿板写真は国内でも6枚しか確認されていないが、今回の企画展ではそのうち2枚を展示する。

湿板写真は1851年にイギリスで発明された写真技術である。それ以前の銀板写真(ダゲレオタイプ)は銀メッキをした金属板を使い、手間もお金もかかる写真技術であった。湿板写真はガラス板に感光コロジオンを塗布し、ネガ画像を得る技術だ。薬剤が湿っているうちに撮影と現像を済まさねばならないことから、湿板写真と呼ばれた。1871年に、より便利な乾板写真が開発されると次第に姿を消していくが、蓮杖が写真と出会った時期は、まさに湿板写真の全盛期であった。

今回初公開となる一枚は、旧幕臣本山漸の肖像写真である【写真1】。本山は軍艦奉行組で研鑽し、のち海軍少将、海軍兵学校長をつとめた人物である。勝海舟(かつかいしゅう)とも親交があり、妻吉子は岩瀬忠震(いわせただなり)の六女である。

写真1 本山漸 下岡蓮杖撮影 1869年
(本山漸二氏所蔵・当館保管)
写真1 本山漸 下岡蓮杖撮影 1869年(本山漸二氏所蔵・当館保管)

写真の額の裏面には、明治二年、横浜某所で写すと書かれている。斎藤多喜夫(さいとうたきお)氏のご教示により、絨毯の模様から蓮杖のスタジオでの撮影と判明した。昨年、本山漸の孫で、岩瀬忠震のひ孫にあたる本山漸二氏から関係文書とともに、当館に寄託された貴重な湿板写真である。

(伊藤泉美)

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