横浜開港資料館

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「開港のひろば」第114号
2011(平成23)年10月26日発行

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資料よもやま話1
松尾豊材(とよき)のこと

まず赴任当時の様子。赴任当日、元第三大区区長・鈴木利貞の案内で、郡役所となる成仏寺、高島嘉右衛門邸を訪問し、夕方には引越を終えて、鈴木らと杯を酌み交わした。ちょうどその夜に、約400戸を焼失する大火災が起こり、豊材の借家も類焼した。暫くは戸長・石井直方の離れで世話になったという。

また明治14年2月の橘樹郡親睦会の発会経緯、郡名に因(ちな)んだ蜜柑を山積みにして語った演説の様子等が能弁に記されている(写真2)。

写真2 松尾家由緒書
写真2 松尾家由緒書

その後、神奈川町上台にあった元玉川茶屋の家屋敷と周辺の土地を購入して二階建ての自宅を建設し、周囲にはソテツ・冬青木・梅・桜等数百本の木々を配し、松苗を150本植生したという。松尾はこの自宅がとくにお気に入りで、「神奈川、横浜、平沼、程ヶ谷の停車場を眼下に見下し、遠見は房総の山海なるを以て、実に得難き絶景也」と自賛している。

「松尾家由緒書」は、足柄上郡長以降の時代の執務に関する記述は少ない。唯一、津久井郡長時代の日清戦争時に推進した銃後援助に関する記述が目立つ程度である。

松尾は明治34年1月に橘樹郡長に再任された。この年4月に神奈川町は横浜市に編入されたが、郡役所は依然として同町に置かれたままであった。明治40年4月依願退職を申し出て、官吏生活に自らピリオドを打った。その後、神奈川の自宅で余生を過ごすかたわら、棚倉藩の『藩政回顧録』をまとめ、大正8年8月に東京へ転居、昭和3年83才の生涯を閉じた。

(松本洋幸)

松尾豊材履歴
弘化2年4月出生(17日)
安政元年6月川越藩に出仕し、着到並(ちゃくとうなみ)心得(坊主)
文久3年1月江戸暫詰
慶応元年3月坊主格御取立
慶応3年1月徒士並(かちなみ)御取立
明治元年3月東京の屋敷を引払い、川越へ
明治4年2月辞職 専業局へ入局修学す
明治5年7月入間県雇
明治5年8月同県等外一等出仕
明治5年12月同県補十五等出仕
明治6年4月福岡県補十四等出仕
明治6年5月若松県一三等出仕
明治8年3月若松県少属
明治9年5月依願免本官
明治9年6月神奈川県少属
明治11年11月橘樹郡長(18日)
明治21年10月足柄上郡長(1日)
明治24年11月津久井郡長(28日)
明治28年6月都筑郡長(29日)
明治31年4月愛甲郡長(18日)
明治33年12月橘樹郡長(26日)
明治40年4月依願免本官(15日)
昭和3年11月死去(10日)

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