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「開港のひろば」第112号
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企画展
開館30周年記念 Part1
たまくすの木が見た横浜の157年
−ペリー来航から開港資料館まで
イギリス領事館の庭木として
横浜が開港すると日本国内からだけでなく、海外からも多数の人びとが横浜にやって来た。幕府は関内の西半分を日本人に、東半分と山手を外国人に貸し与えた。外国人居留地と呼ばれる地域である。たまくすの立つあたりはイギリス領事館の一部となることが決まったが、1866年、たまくすは大火(慶応の大火)に遭い、樹形が大きく変形してしまったと考えられる(岩野修「歴史の証人『玉楠』は三代目?」本誌73号、2001年)。その後、イギリス領事館が建てられた。
横浜市の名木となる
1889年に市制施行によって横浜市が誕生し、6大都市の一つに数えられた。当時の市域面積は、横浜港周辺の5.4平方キロメートルにすぎなかったが、人口は10万人を超え、日本で最初の近代的水道が完成し、電灯もひかれるなどした。開港50周年を迎えた1909年には、盛大な祭りが開かれて開港記念会館の建設などが決まった。横浜市章(浜菱)と市歌が制定されたのもこの年である。街の発展を見守ってきたたまくすは、横浜市の名木に指定された。