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「開港のひろば」第112号
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企画展
開館30周年記念 Part1
たまくすの木が見た横浜の157年
−ペリー来航から開港資料館まで
開港資料館の中庭に1本のたまくすの木が繁っている。1854年、この木のそばでペリーと江戸幕府が日米和親条約を締結し、日本は開国した。4年後に今度は通商条約が結ばれ、1859年に横浜港が開港して貿易がはじまった。
開国・開港の目撃者となったたまくすは、それから157年間、横浜の発展を見つづけてきたのである。大火や関東大震災にも遭ったが、その度によみがえった。
1981年6月2日、この記念の地に開港資料館が開館した。開館30周年を迎えた今年は、春と秋の2回、これまでに収集した資料の中から、資料館ならではの選りすぐりの原資料を一挙公開する。
第1回目の今回は横浜市の発展の礎となり、たまくすがその歴史を見てきた関内・関外・山手地区の資料を中心に紹介する。
ここではたまくすの歴史を当館所蔵・保管資料を使ってひもといてみよう。
たまくす、世界史へ登場
1854年、アメリカ海軍提督ペリー率いる黒船が前年につづいて再び、江戸湾にあらわれた。開国を迫るペリーと江戸幕府は和親条約締結の話し合いを開始することになり、その場所に選ばれたのが、ここ横浜村だった。ペリーを先頭に約500 人ものアメリカの海軍士官・兵士が、たまくすの木の近くに上陸して来た。場所は、現在の日本大通りと海岸通りの交差点、象の鼻パーク入口付近で、応接所の場所は神奈川県庁構内北東隅あたりとなる(堀勇良「ペリー上陸の地」本誌57号、1997年)。