横浜開港資料館

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「開港のひろば」第112号
2011(平成23)年4月27日発行

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企画展
開館30周年記念 Part1

たまくすの木が見た横浜の157年
 −ペリー来航から開港資料館まで

開港資料館の中庭に1本のたまくすの木が繁っている。1854年、この木のそばでペリーと江戸幕府が日米和親条約を締結し、日本は開国した。4年後に今度は通商条約が結ばれ、1859年に横浜港が開港して貿易がはじまった。

図1 ペリー上陸図 ハイネ 石版画 1855年
ペリー上陸図 ハイネ 石版画 1855年

開国・開港の目撃者となったたまくすは、それから157年間、横浜の発展を見つづけてきたのである。大火や関東大震災にも遭ったが、その度によみがえった。

1981年6月2日、この記念の地に開港資料館が開館した。開館30周年を迎えた今年は、春と秋の2回、これまでに収集した資料の中から、資料館ならではの選りすぐりの原資料を一挙公開する。

第1回目の今回は横浜市の発展の礎となり、たまくすがその歴史を見てきた関内・関外・山手地区の資料を中心に紹介する。

ここではたまくすの歴史を当館所蔵・保管資料を使ってひもといてみよう。

たまくす、世界史へ登場

1854年、アメリカ海軍提督ペリー率いる黒船が前年につづいて再び、江戸湾にあらわれた。開国を迫るペリーと江戸幕府は和親条約締結の話し合いを開始することになり、その場所に選ばれたのが、ここ横浜村だった。ペリーを先頭に約500 人ものアメリカの海軍士官・兵士が、たまくすの木の近くに上陸して来た。場所は、現在の日本大通りと海岸通りの交差点、象の鼻パーク入口付近で、応接所の場所は神奈川県庁構内北東隅あたりとなる(堀勇良「ペリー上陸の地」本誌57号、1997年)。

図2 「咸臨丸難航図」 鈴藤勇次郎原画(1938年の初刷り) 木村家所蔵・当館保管
通商条約批准のためアメリカに派遣された幕府使節の護衛艦として太平洋を渡った。
「咸臨丸難航図」 鈴藤勇次郎原画(1938年の初刷り) 木村家所蔵・当館保管

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