横浜開港資料館

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「開港のひろば」第112号
2011(平成23)年4月27日発行

表紙画像

展示余話
横浜の学校歯科衛生と榊原勇吉(さかきばら ゆうきち)

榊原勇吉(1889〜1978)は、横浜で歯科医院を開業した歯科医で、横浜における学校歯科医の先駆者の一人である。榊原の業績については、子息である榊原悠紀田郎(さかきばら ゆきたろう)の著作『続歯記列伝』(ぞくしかれつでん クインテックス出版 2005年)に、また横浜における学校歯科医の歴史は、『横浜市学校歯科医会五十年史』[本編]・続編(横浜市学校歯科医会1991・1999年)に詳しいが、「痛っ歯が痛い−歯科医学の誕生と横浜−」展で、従来目にすることのできなかった資料を展示する機会を得たので、ここで紹介しておきたい。

榊原勇吉

榊原勇吉は、明治22(1889)年、愛知県幡豆郡五保村(あいちけんはずぐんごほむら 現愛知県幡豆郡一色町 いっしきまち)で生まれ、明治37(1904)年に横浜に出て、いくつかの職業に就いた。その後上京し、東京歯科学講習所(東京歯科大学の前身である東京歯科医学専門学校が、明治40年に開設した夜間の講習所)で学び、明治41(1908)年9月、医術開業歯科学説試験に合格、翌年10月医術開業歯科実地試験に合格し、開業医の資格を得ている。写真1は、医術開業歯科試験を受験した際の受験票である。

写真1 受験票 明治41(1908)年 榊原紀男氏所蔵
写真1 受験票 明治41(1908)年 榊原紀男氏所蔵

木谷茂吉(1873〜1931)は、明治33(1900)年に米国留学から帰国し、東京で開業した歯科医であるが、榊原は試験合格後、木谷のもとで働いた。明治42(1909)年、20歳の時に横浜へ戻り、その後2年間助手を勤めた後、明治44(1911)年松影町2丁目に診療所を開業する(写真2)。

写真2 松影町(現横浜市中区)の榊原歯科医院
明治44(1911)年 榊原紀男氏所蔵
写真2 松影町(現横浜市中区)の榊原歯科医院 明治44(1911)年 榊原紀男氏所蔵

榊原は、この診療所を大正12(1923)年に改築したが、同年9月1日の関東大震災で焼失することとなった。震災後一時帰郷するが、震災の翌年、横浜に戻った榊原は、東京歯科医学専門学校の臨床講習会を受講した。そこで『保存歯科学』(東京歯科医学専門学校歯科学叢書第1編)を翻訳するなど、歯科病理の第一人者であった花澤鼎(はなざわ かなえ 1882〜1950)に出会い、花澤の臨床歯科医学への姿勢に影響を受けたという。大正15(1926)年には、関内の十五銀行ビル(横浜市中区太田町2丁目)内に診療所を開設した。そこでの診療は、敗戦によりビルが接収されるまで続けられた。

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