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「開港のひろば」第112号
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特別資料コーナー
カスパー・ブレンワルドが見た幕末・明治の横浜
当館では、平成20年から「ブレンワルド日記研究会」(代表日本女子大学教授井川克彦氏)と共同して、スイス人商人カスパー・ブレンワルドが、1862年12月から78年2月にかけて記した日記を翻訳してきました。ブレンワルドは1863年にスイス政府の通商使節団の一員として来日し、スイスと日本の通商条約の締結に尽力した人物です。また、彼は、その後、一時帰国したことはありましたが、そのまま横浜に滞在し続け、1865年にはヘルマン・シイベルとともにシイベル・ブレンワルド商会を設立し、この商会は横浜を代表する外国商館になりました。
彼の日記は、現在、スイスの連邦公文書館などに保管されていますが、当館ではシイベル・ブレンワルド商会の業務を継承するDKSHジャパン株式会社(本社、東京都港区)の協力を得て、日記の複製を入手し翻訳作業を進めてきました。また、今年2月2日からは、神奈川新聞社の協力を得て、日記の内容を紹介する記事を同紙の社会面で20回にわたって連載しました。
日記の内容は多岐にわたりますが、スイスと日本が通商条約を締結する過程でどのようなことがおこっていたのか、生麦事件の発生後、幕府と西洋諸国の外交団がどのような交渉を繰り返したのか、居留地に住む外国人の暮らしぶりはどのようなものだったのかを具体的に知ることができます。また、シイベル・ブレンワルド商会の経営がどのようなものだったのかを記した部分もあります。なかにはブレンワルドがスイス製の小銃を幕府に売り込むために苦労した様子などを記した箇所もあり、日記は、これまで知られていなかった貿易の実態を知るための一級資料になっています。
すべての翻訳が完成し閲覧室で公開するのは数年先になりますが、当館では、今年の5月中旬から一部分の翻訳(1862年12月〜1863年夏の日記)を公開します。また、4月1日から5月10日まで常設展示室でブレンワルドの生涯と日記の内容を紹介したミニ展示を開催しています。
(西川武臣)