HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第110号
「開港のひろば」第110号
|
企画展
賑わいを生み出すもの
大火のあとさき
伊勢佐木町〜長島町にいたる伊勢佐木町通りは、明治32(1899)年8月12日の大火(雲井町大火ともいう)により大きく様変わりした。大火は旧吉田新田地区の長者町通り以北全域を焼き払い、賑町(現在の伊勢佐木町三丁目付近)も被害にあった。関内にある港座をのぞき、横浜の劇場はすべて焼失し、とくに伊勢佐木町入口の蔦座は大きな被害を出した。そして大火後、伊勢佐木町通りの道幅は八間に拡幅されることとなる。
大火前の伊勢佐木町通りの状況を伝えるものとして、『横浜商業会議所月報』第四号(明治30年1月号)に掲載された「横浜の遊楽地」という報告がある。それによれば「伊勢佐木町通りの特色は横浜港唯一の最大熱閙(ねつどう)場にして遊歩者の多数なるにあり。其遊歩人種の外来者少なくして本港民の多きにあり」と、横浜唯一の盛り場であり、外来客は少なく、横浜の庶民が数多く集まっていることが指摘されている。そしてその後はつぎのように続く。「其商店の種々雑多にして足一たび此地に入れば物として得られさるなく事として達せられさるなきにあり」。やや大げさな表現と思うが、伊勢佐木には何でもそろっている、何でも楽しめるというのである。
報告には、伊勢佐木町の入口にあたる、吉田橋角から賑町一丁目角(現在のにっかつ会館付近)までの通りに面した「商店」の経営内容別の件数が掲載されている。これによれば、娯楽・遊興施設の数は、空気銃(9軒)を筆頭に、劇場(4)、寄席(3)、覗機関〔のぞきからくり〕・吹矢店・玉ころがし・源氏節(各2)・玉つき(1)である。
件数 | 娯楽・遊興 | 飲食(営業) | 食品(小売) | 被服関係 | 小売り | その他 |
---|---|---|---|---|---|---|
9 | 空気銃 | 足袋商 | ||||
8 | すし屋 | せんべい屋 | 袋物商 | |||
7 | そば屋 | 呉服商 | 小間物屋 おもちゃ屋 |
|||
6 | 牛しゃも屋 | 洋貨商 | 薬屋 | |||
5 | てんぷら屋 しるこ屋 |
絵草紙屋 | 理髪店 | |||
4 | 劇場 | 下駄商 | 陶磁器店 たばこ店 時計店 雑誌店 |
|||
3 | 寄席 | 下等牛屋 | はじけ豆 | 古着商 | 雑貨店 雑種店 |
|
2 | 覗機関 吹矢店 玉ころがし 源氏節 |
漬物屋 パン商 乾物商 洋酒商 菓子商 |
半襟店 洋服屋 |
荒物商 眼鏡商 洋燈商 |
写真師 湯屋 |
|
1 | 玉つき | 蛤鍋 芝居茶屋 居酒屋 うなぎ屋 |
羊羹店 酒類業 銘酒屋 |
草履屋 | 紐類店 紙屋 ちようちん屋 石けん屋 |
活版業 名刺屋 ブリキ屋 新聞舗 |
出典:「横浜市の遊楽地」『横浜商業会議所月報』第4号(1897年1月号)
のちの『横浜繁盛記』(横浜新報社著作部・明治36年刊)には、伊勢佐木町から長島町まで(現在の伊勢佐木町にあたる)の「商売」一覧が掲載されている。対象とする地区は広がっているが、これと比較すると大火後の娯楽・遊興施設の移り変わりが想像できる。件数の筆頭は、玉ころがし(15軒)で、寄席・大弓場(各4)、劇場(3)である。大火以前には9件あった空気銃は消えて、2軒しかなかった玉ころがしが躍進している。これは伊勢佐木通りの「本通り」にある数であるから、界隈からまったく姿を消したとはいえないが、手軽な遊びに、はやりすたりがあったことをうかがわせる。
営業する飲食店と食べ物の小売りをみると、大火前は、すし屋・せんべい屋(各8軒)・そば屋(7)・牛しゃも屋(6)などの数が多いが、洋食関係はパン商・洋酒商が二軒ずつある程度で、伊勢佐木は日本的味わいが中心といえる。大火後も、洋食店・中華料理が各2軒ある程度。横浜庶民の味覚は日本的、といえるのかも知れない。
その他被服関係やさまざまな小売業・サービス業が展開していたのが大火以前の伊勢佐木町通りの姿であった。これに加えて、隣接する羽衣町や福富町、さらには長者町などを加えれば、伊勢佐木はふところの深い盛り場としての様相を備えていたことがうかがい知れるのである。「物として得られさるなく事として達せられさるなき」とは大げさな表現でないのかもしれない。