横浜開港資料館

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「開港のひろば」第110号
2010(平成22)年10月27日発行

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展示余話
展示記念連続講座の開催

会期中、9月18日から最終日前日の10月23日まで毎土曜日、全6回の展示記念講座を企画した。講師は、いずれも横浜外国人社会研究会のメンバーの方がたにお願いした。同研究会に当館は、幕末横浜の外国人(主に欧米人)社会の成立時から戦後に至るまでの約1世紀にわたる変遷の研究をお願いしてきた。

外国人社会については『横浜市史』や『横浜市史U』をはじめとして多くの研究蓄積がある。また当館も1981年の開館以来、約30年間に亘って調査研究活動の主要テーマのひとつとし、居留地時代を中心として展示や出版をおこなってきた。しかし現代にまでつながるような長期スパンでの全体像を描くには至っていなかった。

まだ研究は継続中であるが、新しい知見や資料も増えたことから、まずこれまでの成果を披露すべく今回の企画展示と記念連続講座を計画した。そのため展示資料数もいつもより多めとなり、講座の回数も通常5回のところ6回となった。

6回の講座タイトルと講師は次のようである(敬称略)。第1回「横浜と東京の外国人社会」櫻井良樹(麗澤大学教授)/第2回「関東大震災と横浜・神戸の外国人」今井清一(横浜市立大学名誉教授)/第3回「アメリカ陸海軍日本語留学生」天川晃(放送大学教授)/第4回「ふたつのドイツ人家族」大西比呂志(フェリス女学院大学教授)/第5回「山手のアルメニア人一家」大山瑞代(日英交流史研究家)/第6回「戦争と外国人調査」本宮一男(横浜市立大学教授)。

横浜と東京の外国人社会

第1回目は9月18日におこなわれ、64名の受講者があった。講師の櫻井氏は、日露戦後の政治・外交や東京市政を長年、研究され、また『日本・ベルギー関係史』(白水社、1989年、共著)を刊行されている。その蓄積の上に諸統計を活用して横浜と東京のさまざまな相違と、その背景の分析をおこなった。

9月18日の初回の会場風景
9月18日の初回の会場風景

講義はまず1899年に実施された居留地撤廃と内地雑居のもつ歴史的意味と、居留地撤廃後に外国人が置かれた法的位置、外事課設置などに始まる外国人取締の歴史の概説で始まった。

つづいて本題に入り、明治初期から昭和戦前期までの全国と旧居留地を含む府県の在住外国人数の変遷グラフが示された。グラフからは1899年に居留地が撤廃されて日本国内どこでも居住できる自由が認められたにもかかわらず、旧居留地以外の他府県へ移った外国人が少なかったこと、また神奈川(横浜)が明治初期から関東大震災まで首位にあったが、震災後は兵庫(神戸)が入れ替わって優位に立って東京がそれに続き、横浜は凋落傾向をたどり、震災が横浜の外国人社会に大打撃を与えたことがはっきりと見て取れた。

中国人数についても言及があり、横浜、東京ともに中国人が常に外国人の半数以上(60〜75%)を占めたが、東京に住む中国人の圧倒的多数は横浜と違って日露戦後に急増する留学生であり、そのため増減の傾向もかなり異なるという説明に受講者も納得していた。

さらに横浜と東京の国籍別人数や男女の割合、居住地域の変遷、職業別割合などを示すグラフや表を駆使して、ふたつの都市の異同と背景の分析をおこなった。そして横浜は外国人が働く商人の町として形成され、地域に根ざした社会として発展したが、東京の居住外国人は学生や教師(宣教師を含む)、外交官が主で、それぞれの社会を形成し、また内地雑居以前から居留地外に居住する場合が多かったこともあり、横浜と異なって地域社会と隔絶していたという結論で締めくくった。

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