横浜開港資料館

HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第104号

館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第104号
2009(平成21)年4月22日発行

表紙画像

資料よもやま話1
久良岐郡谷津村(やづむら 金沢区)
小泉家文書寄託される

谷津村と小泉家文書

京浜急行・能見台(のうけんだい)駅から金沢文庫駅に至る一帯(金沢区堀口・片吹・谷津町)は、江戸時代から明治初期にかけて、谷津村(やづむら)と呼ばれていた。この村の領主は、近世初頭には旗本久世広之(くぜひろゆき)、元禄年間以降は旗本倉橋家で、村高約120石、人口百数十人で、人々は農業のほか、漁業、薪等の運搬などに従事していた。

この谷津村(やづむら)の名主は、代々小泉小左衛門家がつとめていた。現在も国道一六号線沿いに残る同家には、江戸中期から幕末にかけての村方文書等約110点が伝存している。

小泉家文書については、神奈川県史による悉皆調査で81点、当館設立前に行われた横浜市歴史資料研究会による悉皆調査(『横浜市史料所在目録 第2集』)で112点が報告されている。また、横浜郷土研究会古文書研究グループによる同文書95点の解読・解説が、内田四方蔵氏・森芳枝氏の編集・校訂を経て、『武州(ぶしゅう)久良岐郡(くらきぐん)谷津村(やづむら)小泉家文書(上)(下)』(横浜市金沢図書館、昭和59・60年)として、刊行されている。

今回、所蔵者である小泉家の御厚意を得て、同文書の寄託を受けることとなった。まずは、貴重な資料を長く保存してこられた小泉家の皆様、ならびに同文書の整理・解読等に当られた関係各位のご努力に、深く敬意を表し、深謝申し上げる次第である。

主な史料

寄託された小泉家文書は、前掲『横浜市史料所在目録』で採録された「状」12点と、「冊」97点。村高帳(明和6年・天保4年・弘化3年・慶応4年)、村明細帳(天保14年)のほか、天保期以降の御触書や御用留・御年貢請取帳・宗門人別帳などが主な史料である。

2度目のペリー来航の際の入用金賦課の下知状、富岡より六浦にかけての海岸警備の請書(慶応元年)、浪士等の取締りに当る見張番屋への出勤人数取調(万延元年)など、幕末期における横浜南部の警備に関する史料も含まれている。

またこの地域に来訪する外国人と接触する際の細部にわたる取り決めの請書(安政6年)や、遊猟に来た外国人が放った鉄砲で老女が負傷した事件の顛末(元治元年ヵ)【写真1】など、外国人とのトラブルに関する史料も数点残されている。

【1】外国人遊猟の鉄砲にて老女負傷届書
外国人遊猟の鉄砲にて老女負傷届書

さらに明治期のものとしては、東上する新政府軍への兵糧賄金の持参を求める(後に中止となる)触書、府県の年貢米納入方法の布告などのほか、明治6年の戸長役場文書、番組制変更に関する通知などが比較的まとまっている。

このほか、幕末期の村絵図【写真2】も2枚含まれており、谷津村(やづむら)の幕末から明治初期にかけての村の実態を示す史料として、今後一層の解析が待たれるところである。

【2】谷津村絵図
谷津村絵図

このページのトップへ戻る▲