横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第104号
2009(平成21)年4月22日発行

表紙画像

企画展
「港都横浜の誕生」展出品資料の中から
−新発見資料が語る横浜開港−

ロシエの写真

今回の展示では、P・J・ロシエの撮影した写真を2枚出品している。1枚は1面で紹介したもので、もう1枚は開港直後の野毛を写したものである(資料1)。こちらの写真も渡邉戊申株式会社の寄付によって横浜市が購入したもので、野毛を写したもっとも古い貴重な写真である。当時、野毛には神奈川奉行所の役人の住宅があったから、写真は住宅を写したものと思われる。

資料1
資料1

横浜開港資料館では、これまで、ロシエが撮影した神奈川宿と神奈川湊の写真2枚を所蔵してきたが、今回、渡邉戊申株式会社のご好意によって、新たな2枚を所蔵品に加えることになった。ところで、これら四枚のロシエの作品は、いずれも同様の台紙に貼ってある。たとえば、野毛を写したものの台紙にはViewsinJapanやGeneralViewofYakuamaと印刷されている。また、神奈川宿の台紙には69の番号が、神奈川湊には70が、野毛には72が、横浜には75の番号が付してある。

写真史研究家のテリー・ベネット氏によれば、ロシエは開港直後に、神奈川宿や横浜を撮影し、一連の作品をロンドンのネグレッティ&ザンブラ社から販売した可能性が高いとしている。そうであるならば、今後、抜けた番号の写真が新たに発見される可能性があり、開港直後の横浜道や波止場の写真が見つかるかもしれない。

開港以前の横浜村の絵図

保土ヶ谷宿の本陣をつとめた軽部家には、同家が開港直前に横浜道(東海道と開港場を結んだ道)の建設に従事し、開港後には横浜町の総年寄に任命されたため、多くの横浜開港に関する古記録が残されている。資料2はその一つであり、幕末の横浜村を描いた絵図である。絵図の中央上部に安政3(1856)年に開発された太田屋新田が描かれていることから、絵図は開港直前に作成されたと推測される。

資料2
資料2

絵図の左が現在の中区元町付近、右上が中区野毛町にあたる。横浜村の集落は左下に描かれ、集落は本誌一面の写真に写されている地点にあたる。絵図下の海岸部中央には大きな家が描かれ、家の上の部分には木らしきものが描かれている。この地点は現在、当館が建っている付近であり、木であるならば当館中庭にある「たまくすの木」を描いた可能性もある。

開港後、横浜は急激に都市化し、その後、外国人の住む町が人々の注目を浴びたため、多くの絵地図が作られ、中には出版されたものも多い。しかし、開港以前の横浜村を描いた絵図は少なく、軽部家に残された絵図は珍しいものである。

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