横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第100号
2008(平成20)年4月23日発行

表紙画像

企画展
開港150プレリュード(6) ハリスと横浜

「横浜風景一覧」2代広重画
文久1(1861)年(部分) 当館蔵
「横浜風景一覧」2代広重画
初代駐日アメリカ総領事、ハリス
[1855〜1865年]撮影 アメリカ議会図書館蔵
LC-DIG-cwpbh-01611
初代駐日アメリカ総領事、ハリス

  今年は、幕府がアメリカをはじめとする欧米五ヵ国と通商条約を締結してから、ちょうど150年を迎えます。

  各国に先駆けて締結されたのは日米修好通商条約であり、1858(安政5)年のことでした。56(安政3)年に、初代駐日アメリカ総領事として下田に上陸したハリスが、2ヵ年をかけた交渉の末に結んだものです。

  東南アジア地域で貿易商として活躍していたハリス(1804〜1878)は、日本が開国すると、その豊富なアジアでの経験を武器にし、自ら望んで初代駐日総領事職につきました。ハリスに課せられたのは、日本との間に通商条約を締結することでした。1856年8月21日(安政3年7月21日)、通訳のヒュースケンを連れて下田に到着しました。ハリスの来日は54年にペリーと幕府との間で結ばれた日米和親条約にもとづいたものでしたが、幕府はなかなか認めようとせず、ハリスの望んだ将軍との謁見が実現するのは、来日から1年以上を経た57年12月7日(安政4年10月21日)のことでした。

  1858年7月29日(安政5年6月19日)、小柴(金沢区)沖に停泊中の米軍艦ポーハタン上で、ついに日米修好通商条約が調印され、神奈川・箱館・長崎・新潟・兵庫の5港の開港が取り決められました。条約締結には、中国で56年に勃発したアロー戦争(第2次アヘン戦争)が大きく影響しました。イギリスとフランス連合軍に敗れた中国は、中国側に不利な天津条約締結を余儀なくされ、ハリスはこの情勢をたくみに利用して、とくにイギリスの脅威を説き、幕府にいち早いアメリカとの平和裡の締結を迫ったのです。

  条約文には、「神奈川」と記されていましたが、実際には横浜が開港場となりました。1859年7月1日(安政6年6月2日)に横浜は開港し、その後、貿易都市としてめざましい発展をとげていきました。

  本展示では、通商条約締結のアメリカ側の立役者であるハリスを中心に、ハリスと一緒に、時には対立しながら初期の対日外交を担ったイギリスをはじめとする各国外交使節の活動もとりあげ、港都、横浜が誕生するまでの道程を紹介します。

(中武香奈美)

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