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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第99号
2008(平成20)年1月30日発行

表紙画像
企画展
ハマの謎とき−地図でさぐる横浜150年
企画展
二つの謎をさぐる
−開港場建設と居留地整備に関わるエピソード−
新収資料紹介
新収資料コーナー(7)
ビッドルの名前入り軍扇の発見
資料館だより

展示余話
『実業之横浜』社主石渡道助のこと

  新収資料

  次に、この間新たに見つかり、企画展示で公開するとともに、現在複製作業中の資料を紹介したいと思う。資料の閲覧公開は、作業が終わり次第行う予定である。

【1】肖像写真(資料1)と家族写真(資料2)

資料1 石渡道助 (石渡悠史氏蔵)
石渡道助

資料2 石渡道助と家族 (石渡悠史氏蔵)
石渡道助と家族

  まず、晩年の石渡道助の肖像写真があげられる。和服姿でリラックスした様子である。先ほども書いたが、これまで肖像は見つかっていなかったので、貴重な資料である。

  この写真がいつ撮影されたものかはわからないが、道助は、昭和38(1963)年12月30日に亡くなった。88歳であった。

  資料2は、昭和29年(1954)年5月に撮影された家族写真である。前列右から四人目が道助、隣に妻みつが写っている。

  資料1、2とも神奈川区沢渡の自宅(大正12年1月より実業之横浜社所在地)で撮影されたそうである。

【2】石渡道助著『公開状百通(前編)附録実業活話』(『実業之横浜』10巻5号)実業之横浜社 大正2(1913)年5月(資料3)

資料3 『公開状百通(前編)附録実業活話』
(石渡悠史氏蔵)

『公開状百通(前編)附録実業活話』

  『公開状百通(前編) 附録実業活話』は、『実業之横浜』10巻5号、春季特別号として大正2(1913)年5月に発行された。道助の著書は、これまで大正6(1917)年に実業之横浜社が発行した『高島嘉右衛門自叙伝』しか知られていなかった。

  「公開状百通」は、原富太郎、小野光景、高島嘉右衛門、大谷嘉兵衛など、横浜の著名人にあてた書簡に託してそれぞれの経歴を紹介し、さまざまな注文をつけている。『実業之横浜』7巻23号(明治43〈1910〉年11月)からの連載記事を編集したものである。

  この資料からは興味深いことがわかった。道助は、掲載する記事に、本名のほかに「笠山」と署名していたことが知られている。この資料と掲載された記事の署名を比較することで、道助には「笠山」以外に、「枕刀」、「九十九湾外史」、「米の人」と署名した記事があることがわかった。

  そして「実業活話」は、『実業之横浜』7巻2号(明治43年1月)から連載した記事に加筆修正を加え、編集したものであるが、これには「覆面居士」と署名している。

  これらの署名は他の記事にも見られるので、どのように使い分けていたのかは今後の検討課題である。


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