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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第99号
2008(平成20)年1月30日発行

表紙画像
企画展
ハマの謎とき−地図でさぐる横浜150年
企画展
二つの謎をさぐる
−開港場建設と居留地整備に関わるエピソード−
展示余話
『実業之横浜』社主石渡道助のこと
新収資料紹介
資料館だより

新収資料コーナー(7)
ビッドルの名前入り軍扇の発見


マンハッタン号のクーパー船長のサインが入った軍扇
(椎橋文雄氏蔵)

マンハッタン号のクーパー船長のサインが入った軍扇

  平成19(2007)年5月、横浜市中区にお住まいの椎橋文雄さんが、日の丸の描かれた軍扇を当館に持参された。軍扇は椎橋さんが20年ほど前に購入されたもので、金地に赤い日の丸が描かれた面には「Commodore James Biddle」と記されていた。

  また、裏側にも赤字に金の日の丸が描かれ、この面には「Mercator Cooper」と記されていた。両面とも字はかすれているものの、軍扇はペリー艦隊来航以前に東京湾にやって来た二人のアメリカ人の名前を記したものと確認された。

  表の面に記されたビッドルは、弘化3(1846)年閏5月に日本の開国を求めて来航したアメリカ東インド艦隊の司令長官である。また、裏面に記されたクーパーは、弘化2年に日本人漂流民を送還するため、浦賀にやって来たアメリカの捕鯨船マンハッタン号の船長である。

  軍扇に記されたサインは、いずれも大変達筆で、どちらのサインもアメリカ人が記したものと推測された。特に、クーパーのサインについては、横須賀開国史研究会の平尾信子氏が鑑定したところ、アメリカに残されたクーパーの手紙の筆跡と酷似していることが分かった。

  また、ビッドルの名前の脇にはビッドル艦隊のコロンバス号艦長の名前も正確に記され、来航したビッドル自身か乗組員が記したものと推測された。

  軍扇のもとの所蔵者が誰であったのか分からないが、警備にあたった浦賀奉行所の役人か諸藩の藩士である可能性が高い。

  たとえば、マンハッタン号の場合、3月11日に浦賀に入港し、その後、漂流民を浦賀奉行所に引き渡し、15日に出航している。この間、浦賀奉行所の役人が交渉にあたっている。

  ビッドルの場合は、アメリカ合衆国の軍艦2艘を率いて来航したため、日本側の警備も厳重で浦賀奉行所だけでなく川越藩・小田原藩・忍藩の藩兵が警備にあたった。

  おそらく、この間にサイン入りの軍扇が作られたと考えられ、軍扇が公開されたことによって、ペリー来航以前の日米交流のエピソードがひとつ増えることになった。

  (西川武臣)


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