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企画展
ハマの謎とき−地図でさぐる横浜150年
横浜は近代のわずか150年ほどの間に、小さな村から巨大都市へと変貌をとげました。その急速な成長過程は、それぞれの時代の地図に記録されています。いわば、地図はそれぞれの時代の横浜の足跡ということもできます。足跡をたどっていけば、謎の答えにもたどりつきます。
開港以後幕末頃までは、開港場一帯を描いた絵図が作られ、明治に入ると、関外の後背地や鉄道用地も範囲におさめた絵地図が登場します。明治10年代後半から20年代は、市内各所の名所絵を配した横浜絵地図の全盛期となります。
明治30年代に入ると、写真の普及や絵葉書の登場によって、名所絵入りの地図は衰退し、かわって実測図に近い地図が現われます。
大正期の代表的な横浜地図は、有隣堂発行の「大正調査番地入横浜市全図」です。明治44年(1911)の第二次市域拡張以後の横浜市をおさめる1万5000分の1の縮尺実測図で、40版近くを重ねるほどの人気を博します。震災をへて昭和期にはいると、昭和2年(1927)の第三次拡張以後の市域をおさめた2万5000分の1の縮尺地図が登場します。
現在と市制施行時の明治22年(1889)を較べると、面積は約80倍、人口は約30倍に急成長しています。こうした急速な拡大のあり様や、その成長過程で起こった様々な出来事が地図の中には秘められています。
関内は町名か?山下町の中で中華街はなぜ斜めか?どうしてお台場は消えたのか?山下町なのになぜ加賀町警察署か?などなど、素朴な疑問、謎の中に横浜の成長過程を理解する大切な鍵がひそんでいます。その答えは地図を丹念に読み解くことでみつけることができるでしょう。
今回の企画展示では、横浜の成り立ちに関わる九つの謎の答えを地図の中に探しながら、開港場の誕生、居留地の繁栄、近代インフラの導入、港湾施設の整備などの問題をとりあげ、横浜150年の歩みを探訪していきます。
(伊藤泉美)
模範大横浜市全図(袋) 昭和7年(1932)当館蔵