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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第97号
2007(平成19)年8月1日発行

表紙画像
企画展
区制80周年記念
昭和の幕開け−大横浜を築いた市長・有吉忠一
企画展
大横浜建設と五区の誕生
展示余話
遊女の手紙と遊郭関係資料
資料よもやま話2
神奈川台場よもやま話
−残された記録を読む−
新収資料コーナー(5)
大震災直前の横浜市街
資料館だより

資料よもやま話1
牧内元太郎(まきうちもとたろう)と『横浜毎朝新報』

神奈川県会議員選挙

  牧内は、明治40年の神奈川県会議員選挙に、横浜市県政刷新派として出馬し、当選した。資料1は選挙当時『横浜貿易新報』に掲載された、新聞記者有志団体の推薦広告である。『実業之横浜』4巻8号(明治40年9月)には、選挙のおよそ一月前に、横浜で活動する新聞記者が保土ヶ谷の久和家で懇親会を開き、神奈川県会議員選挙に対し一名の候補者を推薦すること、候補者には牧内を推すこと、記者団体は極力同氏を援助して必勝を期することを満場一致で可決したと記し、さらに牧内の経歴を示し、投票するように読者に要請している。

資料1  県会議員候補推薦広告『横浜貿易新報』(明治40年9月23日付)
県会議員候補推薦広告『横浜貿易新報』

  当選後の同誌4巻10号(明治40年10月)には、「新聞記者―直接の新聞経営者が、県会議場に列するは、我が神奈川県に於いて正に牧内氏を以って嚆矢とすべく、此の意味よりすれば、由来新聞従業者を厚遇せざりし横浜の一進転とも申すべく候。故に記者は横浜の操瓠者の一人として、更に同氏の当選を慶ばざるを得ず候」と書かれている。

  牧内は、明治44年まで任期を務めた。

おわりに

  このほど、牧内元太郎の孫にあたる牧内美智子氏、桂子氏より関係資料をご寄贈いただいた。

  資料の中には、大正14年(1925年)4月、野澤屋呉服店が発行した『浜自慢名士書画帖』がある。同店では、「浜自慢名士書画展覧会」を開き大盛況であったという。その時の図録で、大震災から1年7ヵ月後の「横浜名士活躍の意気を表わす紀念帖」であり、横浜復興会委員であった牧内も揮毫している。

  さらにこの年、日本電報通信社が25周年を迎えるにあたり、全国新聞社二五年勤続者表彰会を設け該当者を表彰したが、牧内も表彰されている。その時の資料もいただいた。資料2の肖像は、記念品である。

資料2  牧内元太郎
牧内元太郎

  昭和5年(1930年)4月、牧内が病に倒れると、『横浜毎朝新報』の経営は平島吉之助に受け継がれ、夕刊の『横浜毎日新報』と改題される。牧内は、昭和7年3月1日にその生涯を閉じた。

  (上田由美)


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