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館報「開港のひろば」バックナンバー


その他の外国人ジャーナリスト

 以上のブラウンやバイアスら4名以外に、どのような面々がこの場にいたのだろうか、あるいは、いたはずだろうか。外務省外交史料館が所蔵する戦前期の史料(「外務省記録」)中に、在日外国人ジャーナリストの動向を探った記録が多数のこされている。その中の外務省情報部作成、昭和9年6月1日付「在京外国通信員一覧」によると、当時、東京在住の「外国通信員」は39名を数え、例えばつぎのような人びとの名前(所属新聞・通信社名)が記されていた。もちろんブラウンら前記4名の名前もあった。

  • アルソット(アヴァス通信上海支局)
  • バブ(AP通信)
  • シュヴァリエ(ル・タン)
  • クレーン(ウォール・ストリート・ジャーナル、フィナンシャル・タイムズ他)
  • エドガーズ(サン、セントラル・ニューズ通信)
  • W・フライシャー(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン)
  • ケネディー(ロイター通信上海支局)
  • マーシャル(UP通信)
  • マーシャル夫人(クリスチャン・サイエンス・モニター)
  • ナギ(タス通信)
  • ラドフォード(デイリー・メイル)
  • レッドマン(タイムズ代理)
  • 芝均平(シカゴ・トリビューン他)
  • ゾルゲ(ドイツ各紙他)
  • ヴーケリッチ(ユーゴスラヴィア紙)

  ゾルゲはやがて、1941(昭和16)年に国際スパイの嫌疑で検挙され(ゾルゲ事件)、44年に死刑となる。ヴーケリッチも同事件で検挙され、獄中で病死する。

  なおこの時の一覧には載っていないが、他に戦前期に活躍したジャーナリストとして落としてはならない人びとがいる。たとえば戦前、UP(現UPI)極東支局長として中国や日本に9年間、暮らし、1935(昭和10)年に帰米したマイルス・ボーンがそうである。今日、すぐれた国際報道に贈られるボーン・上田記念国際記者賞はその名前を冠したものだ。

  来夏、再びドン・ブラウン・コレクションをもとにした企画展示を計画している。今度は文書を中心にした展示となる。この写真の人物たちの特定作業もさらにすすめ、展示で紹介したい。

(中武香奈美)

「開港のひろば」第86号
2004(平成16)年11月3日発行

企画展
リバーサイドヒストリ
ー鶴見川ー幕末から昭和初期までー
企画展
幻の鶴見川分水路計画
展示余話1
「蓮杖&金幣−横浜写真ことはじめ−」展
開港後最初の来日カメラマン
−P. J. ロシエの足跡−
展示余話2
「ペリー来航と横浜」展
ペリー直後のアメリカ船来航
−漂流民勇之助の帰国−
資料よもやま話
戦前期の外国人ジャーナリスト群像

定例外国人記者会見を撮す
中堅記者、ブラウン(5)
ヒュー・バイアス(1)
パーシー・ホワイティング(3)
M. J. コックス(4)
閲覧室から
新聞万華鏡(17)
内国勧業博覧会と新聞
資料館だより




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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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