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新聞万華鏡(17)
内国勧業博覧会と新聞
明治になって、政府は殖産興業政策を進めます。明治10年(1877)には、第1回内国勧業博覧会が開催されました。これは、国内の産業を発達させ、貿易を盛んにするために行ったものです。
場所は東京の上野公園、期間は8月21日から11月30日まででした。日本全国から、1万6千人余りが8万4千点余りを出品し、鉱業及び冶金、製造物、美術、機械、農業、園芸の六部門に分けて陳列されました。観覧者は、45万4千人余りにのぼりました。
内国勧業博覧会事務局は、『内国勧業博覧会場案内』を発行していますが、その付録に「東京なる有益之場所」として東京周辺の見学場所が書かれています。東京教育博物館などの博物館、東京書籍館などの図書館、勧農局試験場、農学校、病院、瓦斯製造所、製紙所、活字製造所などとともに、『東京日日新聞』を発行する日報社、『郵便報知新聞』を発行する報知社、『読売新聞』を発行する日就社の3社も、いずれも精巧な活字器機をすえつけていると紹介されています。新聞社は当時の錦絵にも度々取上げられているように、開化名所のひとつになっていたのでしょう。
博覧会を取材する新聞記者にも便宜がはかられ、入場するための鑑札を特別に発行し、記者専用の休憩所を設けるなどの措置がとられました。開場式当日は、新聞社1社ごとに1名ずつ、礼服を着用して出席するように指示されています。翌22日の『かなよみ』が当日の様子を伝えていますが、『東京日日新聞』は福地源一郎、『郵便報知新聞』は藤田茂吉、『朝野新聞』は成島柳北、『東京曙新聞』は中村武雄、『読売新聞』は永井碌、『東京絵入新聞』は前田健次郎、『魁新聞』は古川精一、『日曜新聞』は高瀬怒一、『風雅新聞』は山田孝之助、『かなよみ』は伊東専三、そして『横浜毎日新聞』は編集長代理 野崎真三が出席したようです。
『かなよみ』明治10年8月24日
「国内勧業博覧会見聞雑記」が掲載されている。
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