横浜開港資料館

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○開港と国際交流

●夜会

外国代表団は当初神奈川の寺院に領事館を置いていたが、文久2年(1862年)3月、最初にオランダが横浜に移転した。翌年そこで催された夜会がこの種の催しものの最初とされるが、「移転披露」(『横浜市史稿(よこはまししこう)』)とするのは疑問。

●海外渡航

万延元年正月に渡米した幕府の使節団、庶民では、翌年香港へ英公使オールコックに同行した名前不詳の「小使(こづかい)」が最初。慶応2年4月に海外渡航が解禁、5月に花田新助が仮免許で米領事フィッシャーの夫人とともにアメリカへ渡った。正規の旅券第一号は、10月欧米巡業に旅立った軽業師(かるわざし)隅田川浪五郎(すみだがわなみごろう)が取得したもの。

咸臨丸難航図
咸臨丸難航図 木村家所蔵
万延元(1860)年幕府の遣米施設に随行した。
図版・請求番号一覧

●移民

1868年(明治元年)5月2日、グァム島へ渡った42名が第一号。直後の17日、ハワイへ向けて150名が出航した。ハワイ総領事ヴァンリードが幕府の許可を得て実施したものだが、新政府が許可しなかったので外交問題となった。

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