横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第143号
2019(平成31)年2月2日発行

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企画展
神奈川宿台町からの眺望と横浜

二 台町からの眺望対象

江戸日本橋から東京湾に沿って東海道を西へ向かうと、左側に東京湾とその海岸線、さらには対岸の房総半島を眺望することができる。神奈川宿台町は、江戸から西へ向かう人々にとって、東京湾を最後に一望する場所であり、江戸との別離を意識する地点である。一方、西から江戸を目指す人々にとっては、初めて東京湾を眺望する場所であり、長い旅路を経て目的地である江戸に近づいたことを実感する地点であった。

それではこうした台町から眺望される場所はどのようなものであったのだろうか。

神奈川町の煙管商の煙管亭喜荘が文政7年(1824)に編纂した「神奈川砂子」では「台町 海岸ハ茶屋町にして、神奈川に名高き絶景也」と述べ、その眺望について次のように記している。東南に安房・上総の山々、南には久良岐郡の小山が続き金沢・鎌倉山へと続く。前面には戸部・横浜・本牧十二天・洲乾弁天がみえる。なかでも洲乾弁天の「出洲」(砂浜)は三保の松原と比較される景観である。西は富士の高根を丹沢・箱根の山越に見、北は山嶺が続いている。東には海が広がり、晴れている時は「帆かけ舟」が浪を走り、雲は水田を雁が渡るのに似ているとする。

一方、天保5年(1834)に刊行された『江戸名所図会』第二巻の挿絵「神奈川台」(図版2−1)には「此地ハいつれも海岸に臨ミて海亭をまうけ、往来の人の足を止む」とある。また、同書の「洲乾弁財天祠」の項目には「芒新田横浜村にあり」「此地ハ洲崎にして左右共に海に臨ミ海岸の松風を波濤に響をかはす、尤佳景の地なり」として、横浜村の砂浜の先端に位置する「洲乾弁財天」(洲乾弁天)について、台町からの眺望を代表する代表的な風景としている。

図版2−1 『江戸名所図会』第二巻挿絵「神奈川台」 当館所蔵
図版2−1 『江戸名所図会』第二巻挿絵「神奈川台」 当館所蔵

このように開港以前の横浜は台町からの眺望地の中でも特筆されるものであった。また、台町の眼下に展開する神奈川宿付近の海岸線、富士・丹沢や房総半島といった遠望が主要な眺望対象であったことは指摘できるが、眺望の対象地を具体的に特定化することは行われていなかった。図版2−2に描かれている台町の茶屋から遠眼鏡で見る視線は、個々人の選択に委ねられていたことになろうか。

図版2−2
図版2−2

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