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「開港のひろば」第143号
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企画展
浮世絵でめぐる横浜の名所
平成31年(2019)は安政6年(1859)の横浜開港から160周年にあたります。本展示はこれを記念して、日本人の絵師によって描かれた浮世絵を題材に、開港により新たな「名所」となった「開港場・横浜」の風景について、名所を見る視線に注目しつつ紹介します。
開港場・横浜が新たな名所となった理由は、江戸から一日行程の範囲、かつ当時の主要な陸路であった東海道に近接する地点に、異国の人々と彼らがもたらしたさまざまな物品や風俗を見聞できる場所が成立したことによります。また、東海道五十三次が名所として浮世絵の題材となっていたことが前提にあると思われます。
近世後期から近代初頭における「名所」としての横浜のあり方について、次の三段階が想定できるでしょうか。
最初は19世紀前半の開港以前であり、この段階における横浜村は、東京湾を望む眺望地点であった東海道神奈川宿台町からの眺望対象の一つでした。同様に台町から眺望される名所としては、富士山や房総半島の遠望、眼下に見おろす野毛・本牧などがありました。
ついで、安政6年に横浜が開港すると、居留地を含めた開港場全体が一つの名所となります。上段に掲げた「横浜海岸図会」はそれを象徴するような構図であり、左下に位置する神奈川宿台町の茶屋から女性が遠眼鏡で開港場全体を覗くように描かれています。神奈川宿台町からの眺望地の一つであった横浜は、安政6年の開港によりそれ自体が新たな名所となり、各所へ拡散していた台町からの視線は開港場・横浜の一点へと収斂されていったことになります。そして、東海道を題材とした双六や浮世絵のあり方をふまえつつ、江戸から横浜への行程や開港場それ自体を対象とする浮世絵が製作されるようになります。
最後に浮世絵に描かれた視線が開港場の内部に入り込み、開港場やその周辺に存在する個別の地点それぞれが名所化していきます。ここでは日本人の居住区のメインストリートである本町通や、人や物資の運搬・揚げ降ろしで賑わう波止場、外国人居留地の洋館や商品、外国人の衣服や行動、風俗等が題材とされています。
安政6年の開港から年次を重ねていく過程で、開港場やその周辺において「八景」や「名所」として浮世絵の題材となる特定の場所が確立していくことになりますが、急速な都市景観の変貌と表現形態としての浮世絵の退潮の中、そうした名所は定着しなかったようです。
(斉藤 司)