横浜開港資料館

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「開港のひろば」第143号
2019(平成31)年2月2日発行

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企画展
神奈川宿台町からの眺望と横浜

一 神奈川宿台町の茶屋街

東海道神奈川宿は、滝の川を境に江戸・川崎寄りの神奈川町と京都・保土ヶ谷寄りの青木町という二つの町から構成されていた。この内、青木町の西側に位置する台町は、海に面した崖を東海道が通り、海側の眺望が開け、それを目当てにした茶屋が建ち並び、茶屋街を形成していた。

台町の茶屋街について、享和2年(1802)刊行の『東海道中膝栗毛』初編では「金川の台に来る、爰は片側に茶店軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下、桟などわたして、浪うちぎはの景色いたつてよし」と記している。「金川」=神奈川宿の「台」=「台町」には海側の「片側」に「座敷二階造」の「茶店」=茶屋が軒を連ね、そこから見える波打ち際の景色は優れているというのである。それに続く北八(喜多八)の「おくがひろいはづだ。安房上総までつゞいている」という台詞からは、台町の茶屋から東京湾の対岸である房総半島まで眺望が利くことが強調されている。19世紀初めには台町からの眺望が同書に引用されるほど、認知されていたことになる。

こうした台町の風景を視覚的に確定させたものが初代広重による「東海道五拾三次之内 神奈川 台之景」(図版1)である。この絵は、初代広重が初めて製作した東海道物で版元(保永堂)にちなみ「保永堂版」と通称されるシリーズの内、神奈川宿を対象としたもの。製作年次は特定できないがおおむね天保4年(1833)頃と想定されている。右側に台町の坂を登る東海道とその海側に林立する茶屋が配置され、画面左側には東京湾が広がっている。これ以降、幕末〜明治初年に作成された東海道物の内、神奈川宿を題材とする浮世絵においては、画面右側に台町、左側に東京湾という保永堂版神奈川の構図が模倣されることが多い。神奈川宿を代表する場面として眺望の名所としての台町というイメージが定着したということになろう。

図版1 東海道五拾三次之内 神奈川 台之景 初代広重 当館所蔵
図版1 東海道五拾三次之内 神奈川 台之景 初代広重 当館所蔵

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