横浜開港資料館

HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第142号 > 企画展  明治の戦争と横浜−伝わる情報、支える地域−

館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第142号
2018(平成30)年11月3日発行

表紙画像

企画展
明治の戦争と横浜
−伝わる情報、支える地域−

横浜港から出発する政府軍
『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』1877年4月14日付 当館蔵
西南戦争時の風景。波止場を埋め尽くす兵士の姿が確認できる。
横浜港から出発する政府軍 『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』1877年4月14日付 当館蔵 西南戦争時の風景。波止場を埋め尽くす兵士の姿が確認できる。

今から150年前に始まった明治時代は、日本が試行錯誤を重ねながら近代国家へと生まれ変わっていった時代でした。それと同時に日本の国内外で武力と武力が衝突する戦争の時代でもありました。戊辰戦争によって江戸幕府を倒した明治政府は、国内の安定化を図りつつ、東アジアに進出する欧米勢力に対抗するため、近代的な軍隊を整備していきます。1873(明治6)年1月、政府は徴兵制を導入、江戸時代の武力であった士族の存在を否定するとともに、次第に兵役を国民の義務としていきました。そうしたなか、現在の横浜市域に住む人びとも軍隊とかかわり、また、様々な戦争に動員されていきます。

当館所蔵の諸家文書には、軍隊や戦争に関する記録が多く含まれています。また、浮世絵や絵葉書、海外新聞等にもそれらに関する記録が数多くあります。これら史料から戦争と横浜市域との関係が明らかになってきます。近年の歴史学界では、近現代史を中心に「軍隊と地域」をテーマにした研究が盛んに行われ、全国各地の博物館においても戦争とむきあう展示が行われています。そこで今回は、戦争に関する情報伝達に注目しつつ、明治期の横浜と軍隊、特に陸軍を中心に、西南戦争や日清戦争、日露戦争と地域社会との関係を紹介していきます。

明治維新以降、明治政府の政策に反発する農民が各地で一揆を起こします。また、明治六年政変で西郷隆盛や板垣退助、江藤新平が政府を去ると、士族たちも不満を爆発させます。1874年の佐賀の乱以降、不平士族の反乱が続き、1877年2月には、陸軍のリーダーであった西郷が鹿児島で蜂起しました。それに対し、政府は全国規模の軍事動員を行い、鎮圧に努めます。横浜港は鹿児島にむかう軍事力の出征拠点として機能していきました。

西南戦争終結後、恩賞の扱いに不満を抱いた近衛砲兵が反旗を翻した竹橋事件、自由民権運動下の激化事件(加波山事件・秩父事件など)があったものの、警察力の整備もあって国内の秩序は安定していきます。1888年5月、政府は地域の警備に重点を置いた鎮台制を機動的な師団制に改めたほか、横浜大隊区司令部を置いて徴兵事務の体制を整えます。徴兵された横浜の人びとは大部分が東京赤坂檜町の歩兵第1連隊に入隊しました。

その後、朝鮮半島の主導権をめぐって日本と清、ロシアが対立するなか、国家間の武力衝突が起ります。歩兵第1連隊が所属する第1師団は日清戦争、日露戦争ともに中国大陸に渡り、清軍やロシア軍との間で激しい戦闘を繰り広げました。

(吉田律人)

このページのトップへ戻る▲