横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第142号
2018(平成30)年11月3日発行

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ミニ展示
築地居留地、開かれる

いまから150年前の明治元年11月19日(1869年1月1日)、東京の築地居留地(現中央区)が開かれた。11月1日から12月27日まで開催するミニ展示では、当館が所蔵する築地居留地に関わる資料を紹介する。

「開港場」横浜とは異なって、築地居留地(「開市場」)には外国貿易船の入港は許されず、外国人は商業のために逗留することが認められただけであった。とはいえ、東京という巨大都市の玄関口に位置する築地居留地では、外国人との盛んな取引が予想され、開市に先立つ慶応4年6月28日にはホテル(築地ホテル館)も開業する(川崎晴朗『築地外国人居留地』雄松堂出版、2002年)。

図版 「東京築地ホテル館」歌川広重(3代)画
明治3年(1870)6月 当館蔵
図版 「東京築地ホテル館」歌川広重(3代)画 明治3年(1870)6月 当館蔵

しかし、明治政府は東京の開港を欲しなかった。5月27日、外国官副知事・神奈川裁判所総督東久世通禧は、欧米6ヶ国の公使へ「江戸表の儀は向来(きょうらい)万一開港と申し立てこれあり候ても右は成し難く、同所は開市の積りに付き、その段はかねて御承知置きこれありたく」(外務省調査部編『大日本外交文書』第1巻第1冊、日本国際協会、1936年)と書簡を送っている。つまり、外国側が開港を求めたとしても、明治政府は東京(当時は江戸)を開市に限定しようというのである。

このような新政府の姿勢によって、築地居留地は開港せず開市にとどまった。また、明治5年(1872)9月の鉄道開通によって、外国人は横浜・東京間を日帰りすることが可能となり、築地では想定されたほどの取引はなされなかった。築地居留地は外国人との商業地区としては大きな発展はみず、むしろ文教地区として伸張していく。

横浜港の明治の隆盛を考えるとき、このときに東京が開港されなかったことは小さくない意味を持つ。東京の開港は昭和16年(1941)を待たねばならなかったのである。

(𠮷﨑雅規)

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