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「開港のひろば」第137号
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企画展
ドイツ商人の妻が残した2冊の貼込帳
鹿鳴館開館式夜会への招待
1883年11月28日夜8時30分、東京の麹町内山下町に完成した鹿鳴館に、内外の高官・紳士淑女約600人が列席して開館式がおこなわれ、舞踏会が夜半まで催された。
図2は明治政府の欧化政策の象徴として知られるようになる鹿鳴館の開館式への招待状である。長男エドアルトを8月に出産したばかりのクララもドレスに身を包み、夫とともに列席したのだろうか。
青木周蔵夫人主催の夜会への招待
図3は1887年2月1日夜9時開会の青木邸での夜会の招待状である。当時、井上馨外務大臣の条約改正交渉を支えていたのが青木周蔵外務次官であり、その妻は青木がドイツ赴任中に出会ったプロイセン貴族エリザベートだった。
ドイツ人社会の社交の場でありながら、対日外交の意味合いもあっただろうこの夜会で、横浜の古参外国商人のひとりとしてフリードリッヒはどんな対応をしたのだろうか。
なお、手書きで「別仕立列車」とある。夜会が夜半に終わるため、横浜からの招待客のために新橋から特別列車が用意されたのだろう。
日本の欧化政策を辛辣に描いた風刺画で知られるフランス人画家、ビゴーはちょうどこの頃、このような夜会での日本人紳士淑女を図4のように描いている。