横浜開港資料館

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「開港のひろば」第137号
2017(平成29)年7月20日発行

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ミニ展示
木村芥舟・浩吉関係文書、寄贈される

1860(万延元)年、日米修好通商条約批准のため、幕府が派遣した使節は、ポーハタン号と咸臨丸(かんりんまる)に乗船し渡米した。木村芥舟(かいしゅう)・浩吉(こうきち)関係文書は、咸臨丸の司令官として太平洋横断をなしとげた軍艦奉行木村喜毅(よしたけ)(芥舟、1830〜1901年)と、その嗣子、海軍少将木村浩吉(1861〜1940年)の資料である。本資料は、浩吉の子孫に伝えられたもので、芥舟の幕臣時代の出仕命令書、咸臨丸渡米時の写真・記念品、芥舟と家族のガラス板写真、芥舟の著作、浩吉の勲章・勲記や著作、福沢諭吉の芥舟・浩吉あて書簡、芥舟や浩吉の写真アルバムなどから成る。総点数378点である。

1988(昭和63)年、「サムライ太平洋を渡る」展の開催を機に、喜毅の令孫木村昌之氏よりその大半が寄託され、その後数度にわたり追加が寄せられた。当館の常設展示室「遣米使節と咸臨丸」のコーナーには、同資料より「咸臨丸難航図」、木村芥舟が米国政府より送られたといわれる小切手、米国滞在時に作製した名刺の3点が複製で出陳されている。本資料は遣米使節を知るために欠くことのできない資料である。

この度昌之氏の子息、木村喜昭・忠昭両氏より、絵画資料2点を除く全ての木村芥舟・浩吉関係文書と、追加資料3点について、寄贈のお申し出をいただいた。

木村芥舟・浩吉関係文書といえば、前述の「咸臨丸難航図」(石版画−2 図1)など、咸臨丸関係の資料が多く活用されてきた。しかし海軍少将を務めた浩吉が残した資料には、たとえば日清戦争時の海軍軍艦の様子を伝える写真が添付されたアルバム(写真アルバム−3)も残されており、今後の活用が見込まれる。

図1 咸臨丸難航図(石版画−2)
咸臨丸乗組士官であった鈴藤勇次郎が帰国後に原画を描き、木村喜毅に贈った。写真は、原画をもとに昭和13(1938)年、小学校教育用に印刷されたもの。原画は海軍館に寄贈されたが、戦後所在不明。
図1 咸臨丸難航図(石版画−2)咸臨丸乗組士官であった鈴藤勇次郎が帰国後に原画を描き、木村喜毅に贈った。写真は、原画をもとに昭和13(1938)年、小学校教育用に印刷されたもの。原画は海軍館に寄贈されたが、戦後所在不明。

寄贈を記念し、8月9日から同31日まで、ミニ展示コーナーで、本資料の一部を紹介する。多くの方にご覧いただきたい。

末尾ではありますが、貴重な資料をご寄贈いただいた木村喜昭氏、忠昭氏に、厚くお礼を申し上げます。

(石崎康子)

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