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「開港のひろば」第136号
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資料よもやま話
神奈川区に残る明治天皇の「聖蹟」
失われた説明板
現状では、説明板などがない点を述べたが、図2のように、石碑の建立時は基礎の部分に説明板が確認できる。また、図3は工事中の写真で、基礎の内部はコンクリートで固められていた。先の神奈川区役所の報告にも、「台石前面ニハ由来文ヲ又裏面ニハ経費寄付者ヲ列記鐫刻シタル銅版ヲ箝入シ」とあり、石碑の来歴や建立に携わった人びとが示されていた。
幸い、神奈川区役所の報告には、1929(昭和4)年2月に作成された建立経費の支出書・寄付者名簿があるほか、地鎮祭(図4)や工事現場(図5)、竣工時の写真も収められている。文字が潰れているため、判読できない部分もあるが、竣工時の写真を拡大すると、由来文の内容を浮き彫りにすることができる。それをまとめると、①明治初年に明治天皇が石井本陣を訪れたこと、②御大典を記念して聖蹟を残すこと、③旧石井本陣跡の岩崎治郎吉氏の土地に石碑を建立することなどが読み取れる。そして最後に建立年月日と神奈川町、青木町の両青年団の組織名が刻まれている。おそらく『明治天皇と神奈川県』の記述は、この碑文を参考に作成されたのだろう。
さらに1935(昭和10)年3月、郷土史家によって組織される横浜史料調査委員会が聖蹟を示す高札を建て、石碑に新たな説明が加わった(「歴代天皇並皇室関係遺跡調査ニ関スル件」、当館蔵、加山道之助文書、横浜史料32)。しかし、その後、石碑がどのような道を辿ったのかは判然としない。本稿が失われた説明板の穴を埋め、石碑に対する理解を深める一助となれば幸いである。
(吉田律人)