横浜開港資料館

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「開港のひろば」第136号
2017(平成29)年4月26日発行

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資料よもやま話
神奈川区に残る明治天皇の「聖蹟」

石碑の建立

1928(昭和3)年11月、郷土史家の栗原清一が記した『横浜の史蹟と名勝』(横浜郷土史研究会)には、「神奈川行在所の旧蹟」として、「神奈川区西之町一番地旧石井本陣跡、今は空地となって居るが、同地は明治元年十月十一日畏くも明治大帝東京ヘ御遷都の砌、鳳輦(ほうれん)をここに駐めさせられし行在所であり、其後東海道を御通過の際、二回も此所に駕を駐めさせらてた誠に由緒ある土地なのである」と土地の由緒が解説されている。その上で、「近頃青木町神奈川町の両青年団其の他の有志が発起となって、今秋の御大典記念に一丈三尺の仙台石に、明治天皇行在所と刻した記念碑を建設し、永く後世に此の地の由緒を伝へることになった」と、石碑建立の動きを記している。ここから石碑は1928年の御大典、すなわち昭和天皇の即位の礼を記念して建立されたことがわかる。

また、同じく郷土史家の石野瑛が戦時中に執筆し、1961(昭和36)年7月に刊行した『明治天皇と神奈川県』(武相学園)は、石井本陣について「街道から滝ノ川畔に及ぶ奥行の深い屋敷であったが、数次の火災と区画整理のため、全く旧観を存せず、御座所に近き滝ノ川畔には昭和三年十一月三日神奈川青年団及び青木青年修養団によって建碑されてわずかにこの聖蹟を拝するを得るのみ」としており、建立の月日もわかる。今日、文化の日となっている11月3日は、明治天皇の誕生日であり、1927(昭和2)年から1947(昭和22)年までは「明治節」という祝日であった。

当時の『横浜貿易新報』を確認すると、10月31日に石碑の写真とともに、除幕式の計画が報じられたほか、11月4日には、前日に行われた式典の様子が詳しく記されている。3日午後2時から始まった式典には、主催者である2つの青年団から400人、地元から有志200人が参加したほか、有吉忠一市長や田村清吉助役、区長や警察署長、県会・市会議員などが来賓として招かれた。式典は洲崎神社の神職による修祓の後、6歳の女児によって除幕が行われた。その後、国歌斉唱や来賓祝辞、功労者へ感謝状の贈呈と続いた。一方、近所の岩崎治郎吉邸では、行幸に関する各種資料が展示され、多くの人でにぎわったという。

さらに横浜市史資料室所蔵の『史蹟名勝天然記念物関係』(横浜市各課文書一628)に収められた「明治天皇聖蹟ニ関スル件」には、1933(昭和8)年の神奈川区役所の報告があり、「神奈川青年団及青木青年修養団相謀リ、明治天皇行在所ノ御聖蹟ヲ欽仰シテ建碑ヲ企テ、町内有志ノ助力ヲ得テ之ヲ完成シ、同年11月3日(明治節)盛大ナル除幕式ヲ行ヒタリ」とし、「爾来、明治節其他ノ祝祭日ニ当リテハ、碑前ニ於テ祭事ヲ執行シ、一般ニ参拝スルヲ例トセリ」と、建立後の状況についても説明している。石碑は地域の人びとが祭り、参拝する対象となっていた。

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