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「開港のひろば」第136号
2017(平成29)年4月26日発行

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資料よもやま話
神奈川区に残る明治天皇の「聖蹟」

1868(明治元)年9月20日、京都を発った明治天皇は、東京へむかうため、およそ20日間の時間をかけて東海道を東に進んだ。今日、明治天皇のこの行為を「東幸(とうこう)」と呼んでいる。明治天皇は東幸の過程で初めて現在の横浜市域を通過、10月11日に戸塚宿の本陣である澤邉九郎右衛門宅と、保土ケ谷境木の若林長四郎宅で休憩をとった後、神奈川宿の本陣である石井源右衛門宅(石井本陣)に宿泊した。翌12日は午前7時頃に神奈川を出発し、生麦の八木平兵衛の畑で休憩をとった後、川崎宿に入った。以後、明治天皇は同年12月の還幸と翌年3月の再幸で東海道を往復、再び石井本陣などで休憩をとっている。

それから約60年の時が経過し、昭和の時代に入ると、史蹟名勝を保存する動きが本格化、その流れのなか、明治天皇が訪れた場所を「聖蹟(せいせき)」として残す運動も発生する。この経緯については、寺嵜弘康「明治天皇聖蹟顕彰運動の地域的展開」(横浜国際関係史研究会・横浜開港資料館編『GHQ情報課長ドン・ブラウンとその時代』日本経済評論社、2009年)が詳しくまとており、県内各地で石碑や木標の設置が相次いだ。

さて、そうした「聖蹟」の目印は、今日も現存しているものがいくつかある。例えば、宮内庁と共催で行った企画展示「明治天皇、横濱へ」の図録では、戸塚区の「明治天皇戸塚行在所阯」の石碑に加え、大磯町の「明治天皇観漁紀念碑」や「明治天皇小田原行在所阯」の石碑を紹介した。しかしながら、神奈川区にある「明治天皇行在所之蹟」の石碑については調査が不十分だったため、言及しなかった。そこで今回は、郷土史家の成果や公文書、新聞記事などを用いながら、「明治天皇行在所之蹟」の設置経緯を追いかけてみたい。

石碑の現状

国道15号(第1京浜)を横浜方面から東京方面に進み、青木町と神奈川2丁目の境になっている滝の橋を渡ると、神奈川警察署が見えてくる。その手前の交差点を左折して西に進むと、右手に木々に囲まれた滝ノ川公園が現れる。現在、石碑は公園の東端、樹木の下にひっそりと佇んでいる。

図1は「明治天皇行在所之蹟」の現状である。「行在所(あんざいしょ)」とは、天皇が宿泊した場所を意味し、この石碑は東幸などで訪れた石井本陣の跡を示している。基礎の部分やその周囲は、明らかに石碑本体と異なる時期に整備され、きれいになっているが、石碑に関する説明板などはなく、来歴等はわからない。また、石碑に刻まれた文字も「明治天皇行在所之蹟」と「明治神宮宮司陸軍大将一戸兵衛謹書」の2つだけで、周囲をまわったものの、裏面などに文字は刻まれていない。

図1 「明治天皇行在所之蹟」 2017年2月撮影
図1 「明治天皇行在所之蹟」 2017年2月撮影

つまり、揮毫者は判明するものの、現在の石碑の状況から建立年などを知ることは不可能である。おそらく事前の知識がない者がこの石碑を見ても、何を意味するのか、全くわからないだろう。その点を踏まえながら、まずは石碑の建立年月日から特定していきたい。

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