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「開港のひろば」第136号
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展示余話
横浜貿易新報社主催「神奈川県名勝・史蹟四十五佳選」と地域の人々
「時を超えて・ハマの史跡の物語」展では、明治42(1909)年に開催された開港50年祭を機に起こった横浜の歴史ブームを背景に、横浜の歴史に関心を持ち、資料を収集する郷土史家が現れ、昭和初頭、彼らを中心に横浜市の第一次市史編纂事業が遂行され、さらに史跡の選定や普及活動も行われたことを明らかにした。そして横浜市が行った史跡の選定と比較、対照するものとして、横浜貿易新報社(現神奈川新聞社、以下横貿)が主催した「神奈川県名勝・史蹟四十五佳選」(以下45佳選)をとりあげた。
横貿主催の45佳選
横貿は、昭和10(1935)年5月に社長三宅磐が死去し、三宅の嗣子市郎が社長に就任したこと、昭和10年が同社の創業45周年であったことから、豪華大花火大会など8つの記念事業を行った(図1)。45佳選もその一つで、45周年にちなみ神奈川県下の45ヶ所の名勝・史跡を新聞読者投票によって選定する催しであった(百瀬敏夫「1935年神奈川県名勝・史蹟投票―横浜貿易新報社45周年記念事業―」『市史通信』第6号 横浜市史資料室編刊 2009年)。
投票は、9月5日から10月5日までの31日間、新聞1部に2枚印刷された投票用紙、あるいは官製はがきに、名勝・史跡の名称と所在地を記し投票するというもので、名勝・史跡は神奈川県下のものであれば、周知の地でなくても構わないというものであった。
投票結果は、『横浜貿易新報』昭和10年10月7日号に発表された。鎌倉の鶴岡八幡宮など名だたる名勝・史跡は選ばれず、その土地ならではといった場所が数多く選ばれた。入選した地については、紙面に紹介記事が連載され、横貿により史跡標が建てられた。