横浜開港資料館

HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第136号  展示余話  横浜貿易新報社主催「神奈川県名勝・史蹟四十五佳選」と地域の人々〈2〉

館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第136号
2017(平成29)年4月26日発行

表紙画像

展示余話
横浜貿易新報社主催「神奈川県名勝・史蹟四十五佳選」と地域の人々

綱島温泉桃雲台

45ヶ所の名勝・史跡のなかには、現在横浜市域に属するものが16ヶ所選ばれたが、地域の新名勝・史跡を当選させようと、地域をあげての投票活動も行なわれた。展示では一例として、26位となった「綱島温泉桃雲台」をとりあげた。

綱島温泉は、大正3(1914)年に発見された。同15(1926)年に東京横浜電鉄(現東京急行電鉄)東横線が開通し、綱島温泉駅が開業したことで、東京の奥座敷として賑わうようになった。綱島では明治期に桃の栽培を始めたが、全国的に知られた品種「日月桃」の大産地でもあった。綱島神明社がある高台は「桃雲台」とも呼ばれ、この桃畑を一面に眺めることができた。

「綱島温泉桃雲台」の入選には、横浜市綱島町(当時は神奈川区、現在は横浜市港北区綱島)の名望家飯田助夫が尽力していたことが知られている。彼の残した日記(「飯田助夫日記」飯田助知氏所蔵)には、横貿の企画を知り、「綱島温泉桃雲台」投票のための印を注文した記録(9月6日条)が残されている。また投票の推移は、連日新聞紙上で報道されたが、10月5日の投票最終日が近づくと、飯田が小泉新聞店に20円を支払うという、新聞の大量注文をうかがわせる記録もある(9月27日条)。

神奈川県は、昭和5(1930)年3月、県下の史跡調査と保存を目的とした神奈川県史蹟名勝天然紀念物調査会を立ち上げた。また明治44(1911)年に発足した史蹟名勝天然紀念物保存協会では、昭和になると各府県の支部が誕生したが、神奈川県支部も昭和6(1931)年に組織され、史跡めぐりなどを通じて、史跡に関する普及活動を積極的に行った。横貿の45佳選が行われた昭和10年当時は、史跡についての認識や保存への関心が高まる一方、交通網が拡大し沿線の観光も注目されるようになった時期であった。史跡への関心と観光への期待が膨らむなかで行われた45佳選は、我が町の新名所を売り出す絶好の機会であったのだろう。

≪ 前を読む      続きを読む ≫

このページのトップへ戻る▲