横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第136号
2017(平成29)年4月26日発行

表紙画像

展示余話
横浜貿易新報社主催「神奈川県名勝・史蹟四十五佳選」と地域の人々

若雷神社

また45佳選では、第29位に綱島町の隣、新田村・吉田村(現在の横浜市港北区新吉田)の村社である若雷(わからい)神社も入選した。同神社の入選について、地域で投票運動等が行われたか否かについては、資料を見つけることができなかったが、入選後の村の対応を知ることのできる資料を相澤雅雄氏より借用し、展示することができたので、ここに紹介しておきたい。

「若雷神社神奈川県四十五勝地 当選祝賀費用決算報告」(図2)は、昭和10年11月に村社若雷神社会計が作成した同社の45佳選当選祝賀会の報告書で、新田村々長の相澤昵宗(ちかむね)が若雷神社関係書類をまとめた綴(相澤雅雄氏所蔵)に収録されている。本資料より当選を祝し、若雷神社が主催した祝賀会が開催されたことが分かる。45佳選の入選は、村にとっても祝事であったことがうかがえる。

図2 「若雷神社神奈川県四十五勝地 当選祝賀費用決算報告」
昭和10(1935)年11月 相澤雅雄氏所蔵
図2 「若雷神社神奈川県四十五勝地 当選祝賀費用決算報告」 昭和10(1935)年11月 相澤雅雄氏所蔵

また図3「県下四十五勝蹟 若雷神社記念碑除幕式 記念写真」は、昭和12(1937)年1月16日に行われた史跡標除幕式の際の記念写真である。横貿は、入選した新田村の若雷神社にも史跡標を建立したが、史跡標の除幕式が入選発表から約1年3ヶ月後に行われており、石碑の建立に時間を要したことが推察される。

図3 県下四十五勝蹟 若雷神社記念碑除幕式 記念写真
昭和12(1937)年1月16日 相澤雅雄氏所蔵
図3 県下四十五勝蹟 若雷神社記念碑除幕式 記念写真 昭和12(1937)年1月16日 相澤雅雄氏所蔵

写真の裏面には、「記念碑除幕式」と題し、昭和12年1月18日に『横浜貿易新報』に掲載された除幕式の記事の一部を引用し、式典の様子と若雷神社の由来を記した紙が貼られている。全文を記しておく(文中の句読点は筆者が追記)。
 「昭和12年1月18日
   横浜貿易新報記事抜載
  県下45勝蹟 若雷神社
   記念碑除幕式
本社45勝蹟入選都筑郡新田村・吉田村社若雷神社は、16日午後現場にて盛大なる除幕式挙行、同時に同社氏子横溝菊次郎氏奉納の幟枠建設の報告祭が兼ね行はれた、同社の由来は口碑及び文献により概要左記の通り伝へられてゐる
村社若雷神社は新田村吉田宮の原に鎮座、人皇56代清和天皇の御宇(紀元1522年)山城国上加茂の加茂別雷神(官幣大社)を勧請せられたもので、貞観6年7月27日従五位上を賜る(参(ママ)代実録参照)、祭神は加茂建角身命(八咫烏)の御孫別雷命亦名若雷命(加茂縁起及び加茂旧記参照)で国家を鎮護し五穀を豊穣ならしめ殊に祈雨の神として霊験毎に顕著なるに依り土俗雷電様と称へ往昔より庶民の信仰浅からざりしも、明治6年社寺調査の際記録湮滅の為村社に列せられたるのみ、本殿に向かって右方に鎮座在すは春日四所大明神で、若雷神社御遷座に先だつ数年前山城国愛宕郡吉田から春日大明神(官幣中社吉田神社)を勧進したるもので、地名吉田の起源なりと伝へられてゐる」

文章を囲む枠の外に「加藤林蔵寄贈」とあることから、写真および裏に添付された横浜貿易新報記事からの抜粋を記した印刷物の印刷経費は、加藤林蔵が負担したと思われる。当選祝賀会の開催や記念写真の作製から、吉田村の人々の45佳選入選への期待がうかがえる。

なお横貿が綱島の桃雲台と新吉田の若雷神社の参道入口に建立した史跡標は、設置から80年を経た今日も見ることができる。

(石崎康子)

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